言葉の棲むところ

 何かを書くということに関する最初のたしかな記憶は、小学六年生のときの読書感想文に関する記憶だ。町か郡か県か、どのレベルかはわからないが、どこかに学校代表の読書感想文を出すため、クラスに読書感想文を書く課題が出た。その課題の結果、僕の読書感想文が選出され、ある日の放課後に、同じく代表に選ばれたクラスメイトとともに教室に居残って原稿用紙に清書をしていた。

 清書のために担任の教師が元の原稿に部分的な添削をしており、それを見ながら清書用の原稿用紙に向かっていた。添削はもちろん内容に大きくかかわるものではなく、言い回しや句読点を微妙に変更することで、20字×20行の原稿用紙に収まりがよくなるよう調整されたものだった。つまり、「編集」だ。

 その編集された原稿を元に清書をしたのだが、僕は原稿をそのまま写すのではなく、さらに加筆や修正をして、清書原稿を提出した。出された原稿を確認しながら、担任は少しだけ怪訝な顔をした。たぶん、原稿が自分の狙い通りの形にまとまっていなかったからだろう。その表情を見てはじめて僕は担任の添削の意図を理解した。夕方の太陽の光が職員室に注いでいた。

 掲載媒体のレイアウトまで考慮して原稿を編集する編集者の話を読んだのは、成人してからだった。編集者たる担任の意図から外れる形で原稿のリライトをしたことに、僕はそのとき再び申し訳ない気持ちを抱いた。書くことについての最初の記憶は、僕の中で少し苦いものだった。

 しかしその後、小学六年生の僕の姿勢はずいぶんと書き手らしい姿勢だったのだなとも感じるようになった。書き手が原稿を上げる、その原稿を編集者が編集する、それを踏まえて書き手は原稿をより精度の高いものにする……。そのやりとりを、小学生の僕と担任が行なっていた。僕は知らず知らずだったけれど。

 僕が再提出した原稿に対し、担任が再度の編集を行い、さらに再び僕がリライトをすれば、原稿はさらによいものになっただろう。ただ現実的に、お互いの労力や時間、そしてそこまでする価値の有無などがおそらく考慮され、清書は一度で終わった。その後、その読書感想文がどうなったかは知らない。


 高校生の頃、「詩」と「詞」の間のようなものを書いて、友人二人に見せた瞬間の恥ずかしさを、いまでも覚えている。自分の内面のごく一部であったとはいえ、それをさらけ出すことがこんなにも緊張し、心臓が宙に浮くような気分になることなのかと驚いた。ごく一部であるのに、それが自分という人間の中身すべてを表しているような錯覚さえ抱いた。

 何のために友人たちに見せたのか、はっきりした理由はもう忘れてしまった。そのとき見せたノートは、どこかにいってしまった。でも、そのノートの1ページ目に書かれた詩の最初のフレーズを、僕はいまでも覚えている。ノートに清書をしたときの光景さえ、目に浮かぶ。


 大学生一年生の春休み、雪に囲まれた札幌の部屋で、ブログを書き始めた。ブログに関して、投稿後に恥ずかしさを覚えたことは、なかったように思う。書き始めた頃さえ、投稿してから後悔した記憶はないし、公開後に記事を削除したことも、これまで2〜3記事あったかどうかだ。


 小説を人に見せるのは、最初は恥ずかしいというより、怖かった。これは、2006年に初めて書いた小説を人に見せたときよりも、2013年頃に再び小説を書き始めて、それを機会があって私淑する作家に見せたときの方がずっと強かった。講評が送られてきても、なかなかメールを開く勇気が出なかった。すべてを否定されたら、もう立ち直れない気がした。

 この恐怖は、それからも続いた。それでもその作家に作品を見てもらう機会に恵まれれば、作品を送り続けた。怖くはあったけれど、次第に自分の書くものに自分なりの手応えが得られるようになると、見てもらう時点で少しずつ課題と達成を自覚できるようになっていた。いまはその機会が失われて、怖さ自体を感じることもなくなった。


 新しい場所で何かを始めることを、僕はあまり躊躇しない。その結果、すぐにその場を離れたとしても、得るものはあっても、失うものはいつも少なかった。やがて同じ場所に戻ってくることだってありうる。

 何かを始めるとき、僕はいつも期待を抱いている。結末がどこに向かうのかは知らないけれど、いや、知らないからこそ、無邪気に一歩を踏み出せる。まだ知らない言葉の棲むところを訪れることができるのではないかと、その未来を信じることができる。

 そして、信じているから、また新しいことを始める。