Jamiroquai『High Times Singles 1992-2006』|アイロンに最適な音楽を求めて vol.01

 アイロンをかける部屋にはCDを再生する環境がないので、音楽はiPhoneと小さいスピーカーをBluetoothで繋いで聴いている。音楽を聴く環境としては、料理をするときと同じだ。

 当然、音質はよくない。でも、別にかまわない。音楽をじっくり聴きたいわけではない。目的は、アイロンをかけるときに背後で音を鳴らすこと。だから、音質は二の次だ。

 そういえば、学生時代、小さなラジオでFMを聴いていた。大学から帰って、台所に立ち、冷蔵庫の上に置いたラジオの電源を入れる。平日夜の帯番組を毎日聴いた。そのラジオDJの喋りに憧れて、自分でもネットでラジオの真似事をしてみた。大学の放送サークルにも入った。

 あのときのラジオは、持ち運び用の小さいものだった。音質はよくない。でも、その軽い音が、僕にとってはラジオだった。あるいは、あまりに良質な音は、作業のBGMとしては適当でないのかもしれない。それは行為のメインとなるべきなのだ。


 さて、アイロンをかけるときに、どの音楽を聴こう。iPhoneの画面をスクロールしながら、頭を悩ませた。何しろアイロンをかけるのに最適な音楽について、これまで考えたことがなかった。アーティスト一覧の一番上から一番下を見ても、決まらない。イメージが浮かばない。

 今度は下から上へ向かってスクロールさせてみる。ある程度、動きのある音楽の方がいい気がする。漢字からアルファベットへ、指を下に動かして画面を上へと動かす。

 Jの文字が見えたところで指を止める。そういえば、ジャミロクワイをしばらく聴いていない。最後に聴いたのは2、3年前のことだろうか。


 ようやくスピーカーから音が鳴る。アイロンのスイッチを入れる。

 畳の上にあぐらをかいて、アイロンを右手に持ち、シャツの皺を伸ばす。皺(しわ)という字と雛(ひな)という字はそっくりだなと思う。「シャツの雛を伸ばす」という文章を見ても、すぐに間違いに気づけるか疑問だ。

 閑話休題。

 アイロンを滑らすと、シューシューと音が鳴る。瞬間、シャツがわずかに湿度を持つのが好きだ。後ろからはジャミロクワイの歌が流れている。最初はスピーカーを体の横に置いていたが、片側から音が来ると調子が狂うので、背後に移動させた。

 皺が伸びていく。もちろん、音楽を流すことでアイロンの性能が変わるということは、おそらくないだろう。でも、アイロンをかける心持ちは、少し変わる。手を動かすという行為と、何気ないことを考えるという行為、独立した動作と意識の間に、音楽が入る。音が大きすぎてはいけない。それは思考を邪魔する。しかし、何も音がないと、ときに思考が勝ちすぎることがある。考える余地がある行為だからこそ、考えすぎてしまう。

 時計は23:40を示している。すべてのシャツの皺を伸ばし終える頃には、日が替わりそうだ。

 ジャミロクワイは相変わらず軽快に歌い上げている。聴きながら、ジョギングには向かない音楽なのだろうなと思う。幸いなことに、アイロンは規則的に体を動かす行為ではない。リズムは存在するが、それは決して規則的なビートを必要としない。


 すべてのシャツにアイロンをかけ終える。スピーカーからは11曲目の「Canned Heat」が流れている。「Dance」の声が放たれる、アルバム屈指の盛り上がりを聴きながら、アイロンのコンセントを抜き、部屋の電気を消す。月曜日になろうとしている。一週間が始まる。この一週間が終われば、長い連休だ。音楽を止めると、一瞬の静寂が訪れ、やがて冷蔵庫から氷ができる音が聞こえてきた。


──2019.4.21