6月14日、本屋イトマイに行く

 6月14日、晴れ。

 自分は暑さに鈍感なのだろうか、と思った。街をゆく人の大半は半袖の服を着ていた。ノースリーブの人さえ何人か見かけた。長袖を重ね着している人などほとんど見なかった。スーツを着ている男性は、見ているだけでも暑苦しい印象を受けた。それでも、僕は長袖のシャツを着て、カーディガンを羽織っていた。外に出てもとりたてて不快な感じはしなかった。

 別に、暑さを感じにくいわけではないのだと思う。夏は冷房の効いた部屋を好むし、暑さに苦しんで眠れない夜もある。我慢強いわけでもない。

 暑さに対して、というより、体内のモード──夏モードとか、冬モードとか──が切り替わるのに時間がかかっているだけなのかもしれない。考えてみれば、冬も厚着をするまでに世間より少し時間がかかっているような気がする。春もコートを脱ぐのはかなり遅い。ゴールデンウィークまで、ダウンジャケットが部屋のハンガーにかかっていたぐらいだ。


 バスに乗ってときわ台へ行く。このバスに乗るのも三回目だ。曜日は違うが、いつも同じバス停から同じ時間のバスに乗っている。もちろん乗っている人は全然違うのだろうけれど、いつも同じような席しか空いていないので、同じような場所の席から、同じような風景を眺めて移動することになる。

 ときわ台へは今年の5月の終わりに訪れるまで、およそ十年ほど行くことがなかった。理由は単純で、特に用事がなかったから。東武東上線に乗っても各駅停車しか止まらないので、気が向いたのでちょっと途中下車でも、というわけにもいかない。それでもかつて来たことがあるというのはこのあたりでは例外的な町で、訪れたことがあったからこそ、再訪へのハードルはいくぶん低くなっていた。平日の日中、かなり乗りやすいバスがときわ台方面へ出ているというのも幸運だった。

 近からず、遠からず。平日にわりあい行きやすい場所で、そこからの帰りも遠くない。通うのが億劫ではないが、しかし日常の圏内にある土地でもない。言い換えるなら、ほどほどな場所だ。地図と路線図を広げて探しても、あるいはこれほど適度な距離にある町もないのかもしれない。


 何はともあれ、バスを降り、南口方面から北口方面へ、踏切を越える。歩いて踏切を渡るということが、いまの普段の生活ではほとんど発生しない。日常の渦の中にある行為が、僕にとっては非日常の行為であり、ひとつのイベントですらある。

 仮に、ときわ台駅の南口と北口が高架でつながっていたとしたら、僕は踏切を避けただろうか? ──いや、それでもおそらく僕は踏切を渡っただろう。徒歩で線路を越えるという行為、あるいは知らない誰かと遮断機の前で立ち尽くし、ただ列車が過ぎるのを待つしかない時間、それらをいまの僕はとても好ましいものと思う。

 踏切上で、必ずといっていいほど誰かとすれ違う。年齢も、性別も、毎回違う。一人の場合もあれば、二人連れの場合もある。早足の人もいれば、ゆっくり歩いている人もいる。黙って歩いている人もいるし、会話をしながら歩く人もいる。電話をしている人もいる。しかし共通しているのは、誰かとはすれ違うことであり、その誰かは北口方面から南口方面へ向かって歩いている。


 北口からすぐのところに、本屋イトマイはある。最もわかりやすく場所を説明するなら、松屋の二階。店専用の扉を開け、細い階段を上ると、本が並んでいる。


 いつも、店内を三周する。

 一周目、すべての棚の本のタイトルを、一冊一冊眺める。気になる本は手にとってページを開く。

 二周目も、すべての棚をまわり、すべての本のタイトルを見る。気になった本を手に取る。一周目と同じ本を開くこともあるし、一周目には手にしなかった本を手に取ることもある。

 三周目は、買う可能性のある本の置かれた棚だけをまわる。

 買う本は、何冊になるかわからない。もちろん財布の事情もある。そのときの荷物の量にもよる。天候にだって左右される。

 でも、ほしいと思う本が一冊もないということは、一度だってない。大きい本屋や中規模の本屋はもちろん、置かれた本の数が限られている本屋にも、僕が変化をし続けてさえいれば、いつだって新鮮で魅力的な本が並んでいる。


 本屋イトマイには喫茶のコーナーがある。コーヒーを飲み、チーズケーキを食べる。僕はなんといってもチーズケーキが好きで、ケーキ屋へ行けば十回に九回はチーズケーキを買う。ほかにもここでは、厚切りのトーストが食べられたり、ビールが飲めたりする。

 喫茶のコーナーは、本屋のスペースとつながっているけれど、階段とレジ(兼厨房)のおかげでほとんど独立している印象を受ける。本屋にいれば喫茶は主張してこないし、喫茶にいれば本屋は邪魔をしてこない。でも、見ようと思えばお互いは目に見える位置にあり、どちらも隔離されていない。店名が「喫茶イトマイ」ではなく「本屋イトマイ」だから、喫茶が本屋に付属している形だが、本が読める空間という意味で、喫茶はそれ自体が本屋の一部となっているように感じる。

 いくつかの、すべて種類の違う椅子やソファーで、本を読むことができる。本を読まないでいることもできる。考え事をすることもできる。何も考えないでいることもできる。

 すぐ外には、松屋の看板が見える。至近距離で松屋の看板を見る機会は少ない。向かいの喫茶店の奥に、うっすらとバーミヤンの看板が見える。建物を挟んだ向こう側の景色が見えているのだと思う。状況を理解するのに少し時間がかかった。


 いつも気がつくと思っていたよりも時間が過ぎている。

 しかし、適当なところで切り上げて、僕は家に帰らなくてはいけない。


 平日の夕方に店を訪れると、出るときは空が暗くなっている。

 ときわ台駅から電車に乗る。いつもこの駅で、イヤホンをしてSPENCER(スペンサァ=オオヤユウスケ)を再生する。はじめて本屋イトマイを訪れた日、SPENCERのアルバムを、たぶん五年ぶりぐらいにかけた。それ以来、駅のホームで電車を待ちながら聴くことを恒例としている。アイロンに最適な音楽にはなりにくいだろうが、本屋イトマイから我が家への帰り道、夜のホームと電車の中で聴くのには最適な音楽だと思う。

 音楽の隙間から、車内アナウンスが聞こえる。目に見えている風景と、イヤホンで遮断された世界を、その録音された音声がやっとつないでくれているような気がする。

 非日常の世界が、だんだんと、日常の世界へと戻っていく。