立ち話も何なので|静かにページをめくる日々 vol.00

 立ち話が苦手で、いつも自分が何を言っているのかわからなくなる。何かの感想や意見を聞かれても、適当に場を取り繕ってしまう(もちろん嘘を言うわけではないが)。その場を離れてから、後悔する。もっと気の利いたことが言えたのではないか、自分が思っていたことの数分の一しか表すことができなかったのではないか。

 座って、ゆっくりと時間が確保された場であれば、結果はだいぶまともになる。会話の流れで、思った通りを伝えられるわけではないが、それでも、自分の言葉が他人のものであるような感覚になることは、立ち話と比べてずっと少ない。

 以前、生放送のネットラジオをしていたとき、僕はだいたいの進行を決めてから放送にのぞんでいた。放送中にもらうコメントへの対応だけでは、いつも途中から進んでいる方角がわからなくなった。ある程度自分が場をコントロールするためには、僕には事前の準備が必要だったし、大まかでも自分の中で枠を決めてあれば、着地点を見ることでアドリブもこなせた。当たり前のことを書いているようだけれど、人によっては立ち話のような放送がうまい人もいて、計画性が見えないにもかかわらず、最終的にはすとんと放送が落ちるべきところに着地し、僕はいつも感心していたのだった。



 先日、夏葉社さんがチャリティー販売会を行うと知り、吉祥寺へ向かった。どういう環境の事務所なのかずっと気になっていたのだが、こういう機会でもないとなかなか訪れることができない。

 ちょうどその前日に、僕は島田潤一郎さん(=夏葉社さん)の著書『90年代の若者たち』を一気に読みきっていたので、会計の際に島田さんに「とてもよかったです」という感想を伝えた。それが僕の最も率直な感想だった。

 そのとき、島田さんから、「どこがよかったですか?」と尋ねられた。それもまた率直な問いだったのだろう。僕も同じことを言われたら同じことを聞くかもしれない。

 ところが、僕はそこで頭が真っ白になった。というか、最初から頭が真っ白な状態で話をしていた。ただ根底にぼやっとある「よかった」というイメージしか、僕は手にしていなかった。僕はしばし考え、記憶の糸をたどって、なるべく具体的な言葉を出そうと試みた。しかしやはり、帰り道で僕は反省するのだった。


 思い返せば、これまで何度も同じような状況で同じような後悔をしてきた。学習していない、というのと、細かい感想や分析や解説を表に出すということ自体を、僕がそれほど積極的に行ってこなかった、もっといえばそれほど好んでいなかったということもある。評価の軸は、「GOOD」と「BAD」だけでいい、好きなところもそうでないところもひっくるめて、そのすべてをGOODだと思えるのか、BADだと感じるのか、それでいいじゃないか、と長く考えてきたし、いまも原則的にはそう考えている。

 でも、そろそろ、もう少しそこに言葉を補ってもいいのではないだろうか、と思うようになってきた。どこまでいってもあくまで個人的に感じたことしか僕には書けないだろう。でも、それを「GOOD」よりも長い言葉で表すことは、おそらく僕にとってもよい未来を示すだろうと思った。


 感じた印象だけが残り、とりわけ記憶に残る箇所以外の細かな部分をすぐに忘れてしまうので、僕はよく気に入っている本を読み返す。読むたびに、どこかしらに新たな発見がある。それと同時に、すでに抱いていた印象をたしかめ、更新していく。そしてやがてまた印象だけが残り、ある程度の時間が経ったときに、ふたたび読み返す。

 隅から隅までを記憶する必要は、ないと思う。僕は本に付箋を貼らない。そうしなくても、自分にとってとても強く迫ってくる文章だけは、どの本に書かれていたかずっと覚えている。

 それでも、記憶は時間とともに薄れていく。感じたことも、どんどん輪郭が曖昧になっていく。

 長く(と言っていいだろう)ブログを続けてきて、最近、記録を残すということの価値を感じることが多くなった。本についても、たとえ言葉足らずでも、そのとき感じた印象を言葉で残そうと思った。たいしたことは書けないだろうけれど、少なくとも、未来の自分は読んでくれるだろう。



 それでもおそらく、僕は立ち話が苦手なままだろうと思う。これはもう仕方のないことで、人はそれぞれに得意なステップを刻み続けるしかない。

 逆に言えば、僕は立ち話が苦手だったからこそ、ずっと文章を書いてきた。感じたことをすぐには表すことができないから、いつだって頭の中で思考をぶつけてなんとか思いを言葉にし、綴ってきた。


 僕にできることは、誠実でいようとし続けること、そして書き続けること、それくらいのことだろう。立派なことは書けないけれど、丁寧に書こうと心がけることはできる。そこに、そのときの空気を含ませるために、いくらかの熱を残しておきたい。

 そうやって言葉にするのは簡単で、いつだってそういう文章を書きたいと思ってきたけれど、実践は簡単ではない。でも、まあ、やらないことには何も残せない。残すために、始めようと思う。僕自身の言葉で、僕の感じたこと、僕の目に映るものを、書き残そうと思う。