7月12日、『小林賢太郎の「本」展』へ行く

 7月12日、曇りのち晴れ。

 名古屋へ行く。といってももともと名古屋は目的地ではなく、伊勢へ行くための乗り換え地点でしかない予定だった。ちょうど昼時なので、少し時間をとって昼食でも、というぐらいのつもりだった。

 ところが偶然にも、というか最初に情報を見たときにはまさか自分が名古屋方面へ行くとは考えていなかったので忘れていたのだけど、『小林賢太郎の「本」展』が名古屋で開催されていることを思い出した。もともと名古屋滞在は二時間弱の予定だったが、同行者(つまり妻)に事情を説明すると、心よく予定の変更を受け入れてくれた。

 その日、朝は雨が心配されたが、なんとか駅までは傘がなくても大丈夫だった。しかしそれにしても涼しい。長袖のシャツにカーディガンを羽織っているが、それがまったくおかしくない気候だ。それは東京駅で新幹線ホームでも同じだった。

 名古屋駅の改札を出るのは、覚えているところでは四度目だった。大学時代、西日本から東日本へ帰る際、中央本線への乗り換え時間が少しだけあったので、改札を出た。もちろん青春18きっぷを利用していた。同行していた友人と駅ビルできしめんを食べた。もう一回は名古屋が目的だった。もう一回は理由は覚えていないけれど名古屋へ来て、名古屋城を見たりした記憶がある。記憶が混濁しているが、もしかしたらもう一回来たことがあるかもしれない。

 それ以上に、あまりに多くの回数、名古屋を通過してきた。行く必然がなかったからといえばそうだし、鉄道を乗り換える機会すらほとんどなかった。もちろん夜行バスだって通過する、というか、夜行バスが名古屋あたりを通過点にしているかも知らない。

 ホームに降りた瞬間、空気が違うことを感じた。改札への階段を下りながら、暑いね、と話す。長袖を重ねている人など誰もいない。同じ東京から乗ってきたであろう人たちも、気がつけば半袖で歩いている。みんな上着はどうしたのだろう。


 ラーメンズを初めて見たのは『爆笑オンエアバトル』で、たぶん中学生の頃ではなかったかと思う。中学高校とラーメンズについて誰かと話した記憶はない。大学に入って、友人がDVDを持っていたので見せてもらった。夢中になったのはそれからだ。

 思い返してみれば、ラーメンズを知ったのが中学生、少し遅く高校生のときだったとしても、ラーメンズを知ってからの時間の方が知る前の時間よりも長い、あるいはもうすぐ追い抜くことになる。まあ、何にせよそうなるもので、札幌でDVDを見たのだって十五年近く前のことだ。

 とにかく僕は夢中になればわりと継続してその人を追い続ける。夢中になったら過去も含めて全部知りたいと思う。当然それは作品を通して知ることになる。所持するDVDの数も増えたし、本も増えた。場合によってはインタビュー記事の乗った古い雑誌を求めて買うこともある。とにかく、公開されているものは全部目を通したいと思う。そういう相手が何人かいる。小林賢太郎さんはその一人だ。


 小さな、しかし実りある会場を後にする。その人そのものはいなくとも、その人が実際に手にしたもの、描いたもの、あるいは身につけたもの、それらが、その人が現実に存在することを、証明してくれた気がして、でもその場を去ってしまうと、夢を見ていたような気分になる。創作の現場に近いものに生で触れると、「作品」と「人」との境界が曖昧になって、興奮する。あるいは、ステージに立つ姿を遠くから見たときも似たような気分になったから、これは「生」がもたらす効果であるのかもしれない。いずれにしても、そこには臨場感がある。


 小林賢太郎さんの著書『僕がコントや演劇のために考えていること』(幻冬社 / 2014)には「1行でも自分のためになると思ったら、その本は買いだ」という節があって、そこにはこう書かれている。


僕は本屋さんでパラパラと本をめくって、1行でも自分のためになると思ったら、その本は買っていいことにしています。この買い物が高いか安いかは、その1行をその後の作品や人生に活かせるかどうかで決まることです。


 これは僕の中でも本を買う基準になっている。「買うことにしています」ではなく、「買っていいことにしています」というのが、またいい。

 この節と直接的には関係がないのだけれど、僕は今年、特に5月以降、本屋で本を買う割合がぐっと上がった。言い換えるなら、本の購入に占めるネット利用の割合が減った。

 規模の大小のあるいくつかの本屋に通って、実際に手にとって、ページをめくって、そしてその店で買っている。小さい本屋ならば店主の見定めた本が並んでいるし、大きな本屋ならばここでしかないような本も並んでいる。古い在庫があることもある。どちらにも優れた点があって、いずれにしても、僕が知らなかったような、あるいは気づいていなかったような本が並んでいて、そして実際に手にとることができる。もちろんネットの長所や利点もあって、必要であれば大いに活用しているけれど、しかしネットでないと買うのが著しく困難であったり時間を要するような本以外は、なるべく実店舗で買おうと思っている。そしてそれによって、これまでよりはるかに精度が高く本を買えている実感がある。

 情報、あるいはデータというより、僕は本という"もの"が好きで、本屋という場所が好きで、本を読んだり本屋に行ったりする時間が好きで、だから本を読んだり本屋に行くことができている最近の日々に充足感があるのだと思う。「面白い」も「美しい」も「不思議」も、本には全部ある。