SMILE『RUB OF THE GREEN』|アイロンに最適な音楽を求めて vol.05

 6月9日、実に三週間ぶりのアイロンとなった。こんなに日が空いたのは、一つはわりと忙しい日が続き、日曜日の夜に力尽きてアイロンをかけるエネルギーが残っていなかったから。もう一つは暑い日が多くて長袖のシャツを着る機会が減り、アイロンをかけなくても大丈夫な半袖ポロシャツなどでしのげたから。とはいえアイロンをかけないままの服がハンガーにぶら下がったまま残っているのは気持ちが悪いし、予報ではこれからまた涼しい日があるようなので、一気にかけることにした。

 これまでは日曜日の夜、就寝前にアイロンをしてきたけれど、試しに日曜日の昼にしてみることにした。これまで二週続けて日曜夜に体力が残っていなかったので、それを避けるためだ。

 またもう一つ、環境が大きく変わった点がある。それは音楽をCDプレーヤーでかけてみることにした点だ。先日、傷があるのかPCに取り込むと音飛びするCDを見つけた。ただどういうわけか我が家に2つあるうちの片方のCDプレーヤーでは普通に再生ができる(もう片方では同じ箇所で音が飛ぶ)。理由はよくわからないけれど、そういうことがあるようなので、思い切ってプレーヤーの配置換えを行い、アイロンをかける部屋にもプレーヤーを置いてみることにした。このシリーズの第1回で「あるいは、あまりに良質な音は、作業のBGMとしては適当でないのかもしれない」と書いておいて何なのだけれど、まあ、とにかく、そういうことにした。

 部屋の電気をつけず、外の光だけでアイロンに向かうというのは、新鮮な感じがする。過去も含めてこれまで昼間にアイロンをかけたことなどあっただろうか。なぜか僕にとってアイロンがけはいつも夜の行事だった。

 配線の関係で、CDプレーヤーは体の前に置くことになる。正面から音がぶつかってくるが、果たしてどうなるか。



 SMILEの3rdアルバム『RUB OF THE GREEN』をかける。98年に出たアルバムだが、僕が高校時代にこのアルバムを友人から借りて聴いていたとき、すでにSMILEは活動休止状態だった。

 緑色のフィルムシートが挿入された印象に残るジャケット、それから貼り付けられた変則的な帯(と呼んでいいのか)が特徴的だ。CDを手に取るだけで高校時代の自宅の部屋の様子が思い浮かぶ。そういうCDはほかにはあまりない。

 音が──それも以前よりも質のよい音が──体の前から向かってくる。新鮮で、慣れるまでに少し時間がかかった。ただ、違和感というほどではないし、作業の邪魔をするものでもない。これならなんとかやっていけそうだ。

 それにしても、今日はアイロンをかける服の数が多い。これまでに着た長袖のシャツ、これから着る半袖のシャツ、着たときに少しシワが気になったポロシャツ、そしてTシャツ。とにかく一枚ずつかけるしかない。

 2曲目の「茨の道を突き進め」から、調子が出てきた。外からの涼しい風が流れてくる。どこからか(近所の小学校か)から太鼓の音が聞こえる。おそらく少年野球であろう子供たちの声も聞こえてくる。

 3曲目の「ラブレター」。高校時代にSMILEを勧められたとき、その友人が特に気に入っていたのがこの曲だった。僕もよく聴いたので、ついつい口ずさんでしまう。後から気づいたのだが、今日はアイロンをかけながら一緒に口ずさむことが多かった。SMILEがそうさせるのかもしれないし、あるいは音楽をCDプレーヤーで流した一つの効果かもしれない。


 アイロンはさくさくと進む。服の数が多く途中でタンクの水が切れたので、補充に行く。CDは終盤の山である「風と雨の強い日~It's a Hard Day~」にさしかかっている。浅田信一のストレートで、少しざらつきのある声が、あまりに心地よい。曇天模様の梅雨の昼間にアイロンをかけるときに聴く最適な音楽はSMILEであるという結論を出していいのではないかとさえ思う。

 もちろん、まだ結論は出せない。あるいは出せたとしても、それは「曇天模様の梅雨の昼間」というかなり限定されたシチュエーションにおいてであり、まだまだ僕はアイロンをかけるときに最適な音楽を探し続けなければならない。暑い日もあれば、寒い日もあるだろう。晴れている日もあれば、雨と風の強い日もあるだろう。体調が抜群の日もあれば、コンディション不良の日もある。時刻は昼かもしれないし、夜中かもしれない。もしも──もしも──どんな状況でも、アイロンに最適な、完全な音楽があるのだとしたら、僕はそれを探り当てたい。



 この文章を書き上げた日の朝、第4回で書いたジョアン・ジルベルトの訃報が届いた。あの回の文章は書き始めてから書き上がるまでにかなり時間がかかって、そのあいだ僕は『三月の水』を何度も繰り返し聴いた。6月の後半はずっとジョアンの歌声が頭の中を流れていたといってもいいぐらいだった。

 木曜日の朝から首の具合が悪化して、動かすたびに激しく痛んでいた。日曜日の朝も痛みは引かず、手の指にも痛みが出ていた。出かける予定をキャンセルして、僕は布団で横になっていた。そこで訃報を知った。七夕の朝は、地球の裏側から届いたニュースで灰色に染まっていた。窓の外ではやがて雨が降り出し、夜になってもやまなかった。


──2019.6.9