ジョアン・ジルベルト『三月の水』|アイロンに最適な音楽を求めて vol.04

 ゴールデンウィーク中から予感はあったのだけれど、この一週間で確信するに至った。そろそろ長袖シャツの季節が終わりを迎える。

 当たり前のことなのだけれど、こんな当たり前のことに、僕は4月の段階では気づいていなかった。前回のアイロンのときにさえ、目前に迫った未来だとは思っていなかった。

 しかしながら季節はめぐるもので、というか急に暑くなってこれから先一週間の天気予報は5月とは思えない気温を示している。

 実は、半袖のシャツをあまり持っていない。去年は夏はポロシャツを着ることが多かった。ポロシャツやTシャツは、ものによってはアイロンをかけるけれども、アイロンでシワを伸ばすのが好きな人間としては、劇的な効果がないのであまりうきうきしない。

 アイロンをかけないとこのシリーズ自体が長期休業になってしまうが、とはいえ、なるようにしかならないので、あまり考えないでおくことにする。



 日曜日の夜、ジョアン・ジルベルトの『三月の水』を再生する。継続的に聴いているCDのひとつだが、たまたまこの前日にジョアン・ジルベルトに触れている文章を読んだのだ。

 ボサ・ノヴァの創造主(のひとり)であり、「ボサ・ノヴァの法王」。抑制された、そして精密機械のような、そのあまりに丁寧で冷静な音楽をはじめて聴いたのはいつだったか忘れてしまったが、僕自身まったく新しい音楽を聴いたような心地になったのを覚えている。

 「ボサ・ノヴァ」という言葉は知らなかったが、こういう音楽には聞き覚えがあった。THE BOOMの『極東サンバ』に「Poeta」というボサ・ノヴァの曲が入っているからだ。

 「ボサ・ノヴァ」という言葉を知ったのも、THE BOOMの宮沢和史さんのラジオ『極東ラジオ』でのことだったと思う。僕が住んでいた地域ではこの番組は聴くことができなかったので、一時期、聴取エリアである神戸の知人に録音してもらったのを、定期的に送ってもらっていたことがある(あのテープはどこにいったのだろう)。


 ジョアン・ジルベルトについて考えるときに、いつも頭に浮かぶ言葉がある。それはジョアン自身の言葉で、概ねの意味としては、「私はボサ・ノヴァを歌っているわけではない。サンバを歌っているだけなんだ」というもの。ただ、とても強く印象に残っているものの、どこで知った言葉か忘れてしまった。おそらくラジオ『極東ラジオ』でのことだと思うが、確認ができない。

 しかし、その言葉が少なくとも大きく違っていないだろうことは、出たばかりのジョアン・ジルベルトのライブBlu-rayのブックレットに収められた、中原仁さんの原稿「ボサノヴァの神様はボサノヴァを歌わない」を読んでもわかる(Blu-rayは2006年の来日公演の様子を収めたものだが、原稿自体は2003年の初来日コンサートのブックレットより転載されたもの)。

 中原さんは、「ボサノヴァの創造者と呼ばれるジョアンが、いわゆるボサノヴァのコンポーザーの作品をあまりレコーディングしていないこと」を指摘し、「一貫してジョアンが歌い続けているのが、主に1940年代から50年代に作られたサンバの古典だ」と述べる。


 僕がボサ・ノヴァを知ったとき、すでにボサ・ノヴァはジャンルとしては「定番」となっていた。耳触りのよい、いわゆる「カフェ向き」な音楽で、僕の持っている『三月の水』の帯には「究極のリラクゼーション音楽」と書かれている。

 だが、THE BOOMのファンクラブ向け季刊誌「エセコミ」第20号(1995年)に掲載された宮沢さんの言葉にもあるように、むしろ「ボサノヴァ誕生の頃のブラジルではボサノヴァはすごく革新的なことだった」。1958年、サッカーW杯スウェーデン大会で、17歳の"王様"ペレがブラジルに優勝カップをもたらした年のことだ。

 ジョアン・ジルベルトという人の存在を知り、その人がボサ・ノヴァの創始者で、そして2003年に初来日すると聞いたとき、音楽のひとつのジャンルの生みの親がまだ存命だったことにとても驚いた。歴史上の出来事と自分のいる現代とのつながりを感じた気分だった。ジョアン・ジルベルトはその後、2004年と2006年にも来日し、今年88歳である。


 日本から見るとあまりに遠い地、訪れたこともない国で生まれた音楽を、僕は知り、聴き続けている。これは考えてみたらすごいことなんじゃないかと、最近になって思っている。歴史や文化の継続性に、感嘆してしまう。

 「ボサノヴァはジョアン・ジルベルトだ。しかしジョアンは遥かにそれ以上だ」──極東のこの地で、今日もボサ・ノヴァが、ジョアン・ジルベルトが、流れている。


──2019.5.19