2002年7月6日、あの空に虹が出たなら|この街のどこかに vol.01

 THE BOOMの2002年のライブツアーのタイトルは“この空のどこかに”だった。2001年より始めた野外ツアーの二年目のことで、タイトルは6月に出たシングル「この街のどこかに」の歌詞からとられている。いま思うと、アルバム『LOVIBE』(2000年)から野外ツアーをしていた2003年ごろが、THE BOOMの音楽は一番ハッピーだった。もちろんそれぞれにテーマはあり、思いはあり、課題はあるけれど、とにかく肩の力を抜いて音楽を演ろう、どんな街にも音楽を届けよう、そういうやわらかな空気があった。THE BOOMのキャリアのちょうど中間に位置する時期で(もちろん「結果的には」ということだけれど)、その前ともその後とも違う、独特の雰囲気のある時期だったと思う。そしてその時期の音は、2004年にアルバム『百景』という形でひとつの到達点を迎える。

 僕はちょうどその時期にTHE BOOMの音楽を聴き始めた。なので正確には「その前」の雰囲気は実際に身には感じていないが、音楽を聴いたり、いくつかの記録を読み返すと、こうだったのかなと伝わるところがある。沖縄返還30年を迎える時期で、ドラマ「ちゅらさん」が放映され、ちょうど同じころアルゼンチンでは「島唄」が大ヒットしていた。アルフレッド・カセーロという人気マルチタレント(宮沢和史はよく「日本でいうとビートたけしさんのような」と説明する)が日本語詞のままカバーし、その波はついに日本にも到達した。いろいろなものが南風に乗ってやってきて、それらはTHE BOOMの音楽を後押ししていた。そしてその風に乗って、大所帯のライブキャラバンが、強行軍もいとわずにやってきてくれた。祭りがそのまま移動しているようだった。


 2002年7月6日(日付をいまでも覚えている)、岡山県の美星町ではじめてTHE BOOMのライブを観た。名前の通り星の美しい町で、つまりずいぶんと山奥にある町だった。

 岡山駅からシャトルバスに乗った。僕は整理番号1番のチケットを持っていて、もちろん窓側の席に座ったが、後から乗ってきた二人連れの女性に席を替わってほしいと言われ、通路を挟んだ座席の通路側のシートに移った。こんなしょうもないことを覚えているぐらい特別な日で、そして16歳だった僕はそのことにまったく腹を立てなかった。まあ、そんなものなのかもしれない、一人だし。そのくらいにしか思わなかった。席を移るときに何の疑問も持たなかったことを奇妙に覚えている(あるいは、「疑問を持たなかった」という自分の感覚には、どこか疑問を持っていたのかもしれない)。

 長い時間バスに揺られ、山の中の施設に着いた。中世夢が原という中世の町並みを再現したテーマパークで、ライブが始まるまで、たしか二時間ほど、その施設をうろうろした。ライブはそのテーマパークの広場で行われることになっていて、しかしすべてが屋外なので、リハーサルの音が全部聞こえていた。梅雨の真っ只中ではあったが、夕方には晴れていた。ただ天気予報はにわか雨を警告していた。そういえばバスの中では少し雨粒が見えていたかもしれない。


 ライブが始まり、やがて雨となった。降り出したかと思うと、一気に激しくなり、僕はリュックからカッパを出した。何しろここは山の中なのだ。雨だって降るし、降り始めた雨はすぐに強くなる。カッパは母親が普段自転車に乗るときに着ていたもので、グレーとグリーンの間のような色をしていた。

 スコールのような雨だったが、少ししたらまったくやんでしまった(何しろここは山の中なのだ)。まだ陽は落ちきっていなかった。

 どこからか、「にじー」という声が聞こえてきた。曲と曲の間、観客がステージに向かって叫んだのだ。振り返ると、空に虹がかかっていた。多くの観客が、あるいは山奥に集まった3,600人の観客全員が、そしてステージ上の演者たちまでもが、ステージではないその方角に見とれていた。


 ───僕は何もあげられないから

 どのくらい経っただろう。上の空だった観客が、一気に視線をステージに戻した。そこにはアカペラで「虹が出たなら」を歌う宮沢和史の姿があり、撫でるようにシンバルを叩く栃木孝夫の姿があり、そして演奏を見守るバンドメンバーの姿があった。その世界に響くのは、宮沢和史の声と、微かなシンバルの音だけだった。

 空はやがて暮れる。おそらくあたりはかなりの暗闇になるはずだ。その予感の中で、現れた虹に見とれ、歌声に浸かった。あの美しい光景と山奥の広場に響く歌声を、きっと僕は忘れないだろう、と帰り道に思った。そしてあれほど美しいステージを、僕はもう生涯で経験することはないのだろうと、そのときほとんど確信した。おそらくその美しい記憶を抱えたまま、あるいはより美しいものに変化させながら、僕は人生を終えるのだろう。

 それは悲しい現実であり、悲しい未来なのか? 僕は首を横に振る。2002年7月6日、僕は天に昇るような気持ちで岡山県美星町に立っており、たとえ夢から醒めても、その事実だけはたしかに残っている。


 ───信じられるものが ひとつふたつ
   僕らをとり残しても
   虹が出たなら 君の家まで
   七色のままで とどけよう