10月8日、『小林賢太郎の「本」公演』と東京堂書店へ行く

 10月8日、神保町へ向かった。九段下で降りるのははじめてで、平日の夕方前に神保町を歩くのも久しぶりだった。空気は秋のものに変わっていた。俎橋から直角に曲がる首都高を見た。東京らしいこの景色が、僕の中ではいくぶんあこがれの強い、懐かしい景色になっている。

 はじめて新宿駅の南口を出て小田急サザンタワーを見上げたときの、あの新鮮な気持ちを僕は忘れないだろう。高校三年生の2月、受験シーズンの最中のことだった。都心部の首都高をはじめて見たのはいつだったか。大学生の頃は、そこまで見る機会がなかったかもしれない。社会人になり、目の前を首都高が走る職場に勤め、休日に都心に出るようになってから、あの窮屈そうな道路を、よく見るようになった。運転するのが大変だろう、とは、僕にでもわかった。薄暗い、濁った小さな川。その上を曲がりくねった道路が伸びていき、無数の車が走っている。それは都心の象徴だった。その環境に住みたいかは別として、僕にはその眺めが、都心の空気を求めていた時期の記憶とともに、いつまでも残っている。


 少しだけ遠回りをしてから、日本教育会館へ入る。一ツ橋ホールにはすでにたくさんの人が座席についていた。ホール前で物販を見る人も多かった。7月に名古屋のこぢんまりとした感じのいい会場で『小林賢太郎の「本」展』を見たときには、東京に巡回するとは思っていなかった。日程的に名古屋では『「本」公演』は見られなかったから、東京での公演が発表されて、日程の都合が悪くないことを確認すると、すぐにチケットを申し込んだ。

 思っていたよりもずっと広かったホールを後にして、余韻に浸りながら古書店街方面へ歩いた。19時を前にして空は完全に暗くなっていた。前回神保町へ来たのは今年の7月で、それは何年かぶりの神保町だった。野村芳太郎監督の『拝啓天皇陛下様』を神保町シアターで観たその日は、同じ19時前でも完全に日は暮れ切っていなかった。あの日も上演後、余韻に浸りながら御茶ノ水駅へと歩いたのだった。

 東京堂書店へ向かう。世の中には大きい本屋があり、大きくない本屋がある。大きければ無条件にいいというわけではないし、小さければそれだけで素敵だとも限らない。店に行かなくても本は買える。Amazonもあれば、hontoのように丸善・ジュンク堂・文教堂といった超大型書店と提携したサイトもある。個人店だってネット通販をしているところは多い。品揃えはいいし、早いし、楽だ。僕もこれまでずいぶんお世話になってきたし、これからだって利用するだろう。時間とお金をかけて本屋に行った挙句、ほしい本がないと落胆する心配もない……が、落胆こそが発見と背中合わせだということを、それでも足繁く本屋に通う人は気づいているのかもしれない。

 東京堂の棚の前で、何冊かを手に取る。手に取れるというのが本の大きな特徴で、大きさや質感とともに、たいていのものは中身も確認することができる。試着をしないと自分にぴったり合う服や靴を買うのが難しいように、本も手に取ってみないと自分に合うものか判断することが難しいと、僕は実感している。それでも世のすべての本を手に取ることは不可能だから、僕は本屋に頼ることになる。本屋が作る棚を一つの入り口として、本を手にする。そして、頭を悩ませ、指先で感触をたしかめ、あるときは直感で、レジへと向かう。

 棚にある本の数が多ければそれだけ選択肢が広がるが、少なければその棚を作った人がわざわざその本を選んだという必然性が増すから、数の多寡は絶対の尺度とはならない。まったく同じ棚を持つ本屋は二つと存在しないから、同じ本を起点にしても、広がり方は本屋の数だけある。Amazonが見せてくれるおすすめよりもずっと緩やかに、広い視界を持ったまま、たしかな手応えとともに歩くことができる。


 御茶ノ水駅へと坂を上る。はじめて神保町に来たのは、大学一年生の春休みだったか。よく晴れた、寒く空気の乾いた日だった。江東区に住んでいたとき以外、神保町へは御茶ノ水駅から向かうことがほとんどだった。明治大学のタワーを見上げ、エチオピアの前を通って、駿河台下の信号を渡る。これがお決まりのコースだ。御茶ノ水橋口改札を出て、さあ神保町へ向かおうと坂を下るときの高揚感はいまでもあるし、たぶんはじめての頃からあまり変わっていないはずだ。そして反対に神保町から御茶ノ水駅へと坂を上る足取りはやや重く、この荷物を抱えて中央線に乗らなければいけないことに少しうんざりしているのも、昔から変わらない。