町田謙介『中央線VOYAGE』|アイロンに最適な音楽を求めて vol.06

 本にしてもCDにしても、ある程度のものは「いつごろ」「どこで」買ったのかを覚えている。特にネットではなく実店舗まで足を運んで購入したものはより覚えている傾向が強い。しかし中には、実店舗で買ったのはたしかなのだけれど、購入の経緯をほとんど覚えていないものもある。もちろん自分で買ったものなので、買いたくなった理由は十分に想像できる。でもどこで買ったのかがうまく思い出せない。

 町田謙介『中央線VOYAGE』というアルバムがある。ライブアルバムで、購入したのは2011年の暮れから2012年内のどこかのタイミング。THE BOOM「中央線」のカバーが収められているとは知らず、購入して聴いてから知った……というところまでは覚えているのだけれど、はたしてどこの店で買ったのか、すっかり忘れている。ケースを手にとって買おうかどうか悩んだ記憶まであるのに、その場所が思い出せない、というのがもどかしい。ほとんどのことがわかっているのに、その一点だけが思い出せないぶん、逆にすべてが夢の中の出来事のような気になる。



 6月16日、前の週に続いて日曜日の昼間にアイロンをかけた。父の日のことで、僕の父もアイロンがけが好きだったことを思い出した。僕の家事に関する好みやクセは母親譲りの部分が大きい。こだわるところが似ていて、話が合うし、同時に少し困った気分にもなる。一方で父親は、僕が実家にいるころは家事をするほど家にいなかった。そしておそらく、こだわりという意味では母や僕ほど強いものを持っていない。でも、こだわりがあったかどうかは別として、アイロンをかける姿だけは覚えている。少なくともアイロンがけが嫌いではなかったのだと思う。逆にアイロンだけは不思議と母親のイメージがない。自分がアイロンをかけるとき、僕は時おり父親の姿を思い出すが、そのイメージは決して母親のものにはならない。母親もアイロンをかけていたはずなのだけれど。


 梅雨に入っていた。気温は低めに推移して、結局また長袖のシャツを着る機会も増えていた。アイロンのかけがいがある。

 前回より音楽の再生をCDプレーヤーで行うようにしたが、このことの利点は、なんといってもiPhoneに入れていない音楽を再生できる点だ。

 というわけで、せっかくなのでiPhoneに入っていない『中央線VOYAGE』をかけることにする。名義は「町田謙介 featuring Chihana」。帯の言葉を引用すると、「音楽の時空を自由に旅するマチケン、待望のライブアルバム! いま、注目度No.1の女性ドブロギタープレイヤーChihanaを大きくフィーチャリング」したアルバムだ。実は僕はいまだに町田謙介さんがどういう方なのかよくわかっておらず、声から姿を想像するしかない。恥ずかしながら「ドブロギター」がどういうものなのかもよく知らない。

 歌手の情報がほとんど(マチケン氏の場合は「まったく」)ないままCDを買うことは、たまにある。ジャケ買いだったり、帯やポップの文句に興味を持ったり、パターンはいくつかある。だが、購入後、音楽が少しでも気に入ったら、たいていの場合は歌手についての情報を仕入れる。マチケン氏のように、ほぼまったく情報を入れないままというのは、ほかに例がない。

 ライブアルバム『中央線VOYAGE』を聴いたとき、僕は直感的に、歌手=町田謙介さんについては、意識的に情報を入れないようにした方がいいだろうと思った。情報を入れないことで、僕はこの中央線の沿線で歌っているというブルースシンガーを、僕の仮想の中央線にいつまでも閉じ込められると思った。もちろん現実のブルースシンガーは中央線以外の町にも訪れるだろう。でも、僕が知ろうとしなければ、町田謙介はいつでも中央線のどこかの町で歌っていて、僕がたまたま訪れた駅で、ギターを抱えているかもしれない。中央線では、そんなことが起こっても不思議ではない。


 アルバム購入時、僕はこのアルバムに収められた「中央線」が、THE BOOMの曲かどうか確信を持っていなかった。CDの裏側のジャケットには、ただ「10. 中央線」と書かれているだけで、それがカバーかどうかは明記されていなかったからだ。僕は「中央線」というタイトルの曲をTHE BOOMの曲しか知らなかったから、カバーなのではないかと思っていたが、はじめて名前を聞いたブルースシンガーの自作の曲であっても、なんら不思議ではない。しかし実際のところ、それはやはりTHE BOOMの曲のカバーだった。

 中央線が人々の、そして僕の何を惹きつけるのか、それははっきりしているようで、説明するのが難しい。もちろん歴史を学ぶことはできる。それぞれの街に、どういう人が住み、どういう文化が生まれていったか、記録や言及はいくつも残されている。でも、文化というものは、その土地に浸からないと理解することは難しい。そして文化や流れる空気は時代によって大きく変わることだってある。だからそう物事は単純ではなくて、まして「何が惹きつけるのか」ということを説明するのは、僕には途方もない試みのように思われる。

 それでも、もう30年ちかく前に「中央線」という曲が作られ、それが歌い継がれている。その曲を聴いた人間が、中央線沿線に住み、あるいは足繁く中央線に通う。その事実は、たしかに残されている。魅力とも、魅惑ともいえるその空気に、いつだって多くの人が惹かれている。だから我々は、中央線に旅をする。