2月8日、『男はつらいよ お帰り 寅さん』を観る

 『男はつらいよ』は好きだけれど、全作を観ているわけではないし、特別詳しいということもない。しかしはじめての一人旅の最終目的地は柴又の「寅さん記念館」だったし、寅さん関連の本があると気になってしまう。

 このなんとも煮え切らない思いは、もしかしたら『男はつらいよ』が僕にとって同時代的なものではなかったからかもしれない。渥美清が亡くなったとき、僕は小学五年生で、ニュースとしてはかろうじて記憶にあるが、その俳優の存在について深く知るところはなかった。おそらくその時点では映画も見たことがなかったはずだ。

 実家に井上ひさしが監修した『寅さん大全』(筑摩書房)という本があった。映画の何作目かを見たのが先か、この本を開いたのが先か、高校生に上がる前後に、「寅さん」という存在を知ることとなった。すでに「寅さん」は過ぎ去った未知なるものへの郷愁を抱かせる存在になっていた。

 高校二年生から三年生にかけての春休み、僕ははじめて青春18きっぷを使って一人旅をした。高松からの始発列車に乗るために野宿をし(実家からでは高松からの始発列車に乗る手段がなかった)、京都をまわり、臨時大垣夜行に乗って東京に出て、金町から柴又まで江戸川沿いを歩いた。計算をしたらもう18年も前の話だと気づいて驚いた。その頃にはすでに、『男はつらいよ』───というよりその時点では「寅さん」───が、自分の中で一つの特別な位置を占めていた。


 『男はつらいよ』の最新作(第50作「お帰り 寅さん」)が2019年末に封切られた。すでに一日一回、小さなスクリーンでの上映の館が多くなっていたが、なんとか公開中に観ることができた。

 劇場内は、おそらくほとんどが50歳を超えていた。もしかしたらその日の観客では自分が一番若かったかもしれない。土曜日の昼下がりのことだ。

テレビやDVDで何作かは見ているが、『男はつらいよ』を映画館のスクリーンで観るのははじめてだった。序盤、第1作の回想で、寅さんやさくらの顔が大きく映ったとき、涙が出そうになった。それは半世紀前の渥美清であり、倍賞千恵子であり、柴又の風景だった。もちろん各作の回想には若き日の博がいて、おいちゃんやおばちゃんがいて、幼き満男もいた。そこには映画館のスクリーンならではの迫力があった。エンドロールで渥美清がうたう主題歌が流れたときも、目頭が熱くなった。一度も映画館で観たことがないのに、いや、一度も映画館で観たことがなかったからこそ、抱いていた強烈な懐かしさや憧れが、現実のものとして目の前に現れた気分だった。

 劇場内に明かりが戻ると、思っていた以上に埋まった客席では、涙を拭く人の姿も多かった。エンドロールの渥美清の歌声は、ほかの観客にとっても印象深いようだった。


 映画がはじまる前は静かだったロビーだが、二時間が経つと、いつの間にか多くの人がチケットを求め、ドリンクを求め、グッズを眺め、トイレに向かっていた。高校生や小さな子供づれの姿が目立っていた。このシネコンのどこかのスクリーンで、何か話題の映画がはじまる時間なのかもしれない。

 映画館の劇場を出た後の、目が光に慣れるまでの、現実と非現実が入り混じったような時間が好きだ。意識の半分がまだスクリーンに残っていて、目に見える風景が、手ざわりのあるものとして感じられない。ずっとこの気分に浸っていたいとも思うが、現実の世界に戻らないといけないし、嫌でも意識はこちら側に戻ってくる。でも、そのスクリーンを通ったか通っていないかで、現実の世界は少し違うものになる。そういう映画を観られてよかったと、午後の静かな電車に、ひとり揺られながら思った。