『水木しげる漫画大全集 067 総員玉砕せよ!! 他』 | 静かにページをめくる日々 vol.05

 以前勤めていた会社は、古風な会社だった───と書けば聞こえはいいかもしれないが、要は古臭い考えが染み付いた会社だった。サービス残業は当たり前、お茶出しは女性の仕事、結婚すれば女性は辞めるものだという考えもまだ上の年齢の人の中には一部残っていた。体育会系、というよりは、軍隊的な風土だった。多少誇張して書くなら、「私を殺してでも会社に尽くすべき」。もちろん先進的な考えの人も少なからずいたが、往々にして、そういう人よりは、そうでない人の方が声が大きい。少なくとも僕のいた十年ちょっと前から数年前まではそうだった。

 と、悪評を書こうと思えばいくらでも書けるのだが、それが目的ではないので自分の中にとどめておくとして、いま思えば、悪い部分だけでもなかったと思う。一つ言えるのは、良くも悪くも、家族的だったというところはある。派遣社員の使い捨てなんてことはなかったし、検討もされていなかったのではないかと思う(そもそも派遣社員自体がほとんど皆無だった)。ある地方にルーツを持つ会社で、その地方出身の社員の割合が高く、そのあたりのある種の面倒見もよかった。仕事の割に人員はどう考えても圧倒的に足りていなかったが、受け入れた人間は最後まで受け持つという考えはあったと思う。そして何か困難な局面にあたったときには、「一丸となって突撃する」というスローガンを掲げただろう……たとえ勝算がなくとも。これはやはり、悪評になるのか。


 水木しげるの「総員玉砕せよ!! 聖ジョージ岬・哀歌」を読んだ。

 本自体は少し前に購入していたのだけれど、なかなか読めずにいた。時間的にというよりは、この話に向き合うだけのエネルギーがなかった。水木しげるの自伝漫画やそれに類するものを読んでいるだけに、どういう話がどういう描かれ方をするか、ある程度は想像ができた。あのあたりの話とがっぷりと組むのかと思うと、こちらとしてもそれなりの覚悟が必要だった。

 柿内正午という書き手がいて、僕は自分の日記本を作るにあたって、柿内さんの書いた『プルーストを読む生活』という日記本に、大いに刺激を受けた。その柿内さんが、「2020年3月の読書記録」という文章の中で、「二〇二〇年三月、僕らはこうした本と共に過ごしていた」として、その一冊に「水木しげる『総員玉砕せよ!』(講談社文庫)」を挙げていた。いまなのかもしれないと思った。


 2020年の3月、そして4月に入ったいまが、戦争状態だと言いたいわけではない。そのたとえは、おそらく適当ではない。相手は目に見えないし、考えていることもわからない。そもそも意思があるのかもわからない。話し合う余地がない。倒し方もわからないし、共存の仕方もわからないし、見えないから、有効に身を守れているのかも自信を持てない。恐怖だけがひたひたと姿もなく近寄り、気がつけば囲まれ、支配されている。

 しかし、そんな状況に置かれた人間の精神状態や、あるいは取りうる行動というのは、戦時と似てくる危険があるのかもしれない。死んでこいと命令する人間はいないだろうが(いないと信じたいが)、一見大義に見えるものを掲げ、それに従わぬ者を嘲り、罵る。大きな声の人間が、自分は絶対だと信じ、宣言する。いったい何と戦っているのか、それがわからなくなる。


『バイエン支隊は玉砕していない』
「エエッ」
『これをみたまえ 聖ジョージ岬警備隊からの機密電報だ』
「バイエン支隊の生存 将校以下数十名 聖ジョージ岬警備隊にて給食をうけつつあり 二、三日たつも前進の模様なし
 なんたることだ ラバウル全軍の面汚しだ」
『「敵前逃亡」だ!!
 大本営並びに方面軍に発表してしまった現在 事は重大だ 秘密のうちにまっ殺してしまわねばなるまい』


 玉砕したはずの部隊に生き残りがいたことが後方の司令部に伝わるシーン。このシーンをおかしいと思えるうちはいい。こういう状況に陥る危険はないか、それを「ない」と断言できないことが怖い。いや何より、まだ陥っていないと信じきれないことが、恐ろしい。

 話の最終盤、再度の玉砕を命じた司令部の参謀が、戦場から後方へ逃げようとするシーン。参謀と、玉砕部隊の指揮を命じられた水本少尉との会話。


『早く突入したまえ』
「あなたは人に死を強要し生きながらえようとなさるのですか」
『冷たいようだがわしにはわしの任務というものがある』
「死を命じた者は共に死ぬべきです!!」


 そして、続く水本少尉のセリフ。


「背信の中に生きるのは我々でなくあなたではありませんか」