意識を剥がす

 ツール・ド・フランスがはじまって一週間が経った。現地の昼間とはいえヨーロッパのスポーツなので、日本でライブ中継を見ようと思うと夜遅い時間になる。毎日、日がかわって1時、遅いときには2時ぐらいまで、4〜5時間の自転車レースをテレビで見る。端的に言うととても忙しい。
 好きなことをやっているだけではないですかと言われればその通りである。やりたいことがたくさんある時期に、なかなかどうしてその他のことの忙しさが集中して、さらにやりたいことの中ではツール・ド・フランス観戦が優先されるものだから、もう自分としては馬車馬のように働いている感覚がある。朝起きた直後から夜寝る直前まで何かをやっている。ちなみに僕はスポーツ中継を見ながら並行して読んだり書いたりすることができない。

 その昔、インターネットでラジオをしていた頃、僕はよく「ラジオのいいところは聞き流せるところだ」と言って、自分の放送も聞き流してもらえるようなものにしたいと言っていた。生活の中にあって邪魔しないものでありたい、という思いを持っていた。
 その思いは嘘でない。しかしながら、実は僕自身は、ラジオを聴きながら、あるいはテレビを見ながら何かをするということが得意でない。ラジオの音やテレビの画面が気になってしまう。黙々と手や体を動かせばいい作業(たとえば食器洗いとか、掃除とか)はできても、自転車レースを見ながらでは日記を書くことすら一苦労だ。

 何かを聴きながら、あるいは何かを見ながら、集中が必要な他の作業をする。たとえばスポーツ中継を見ながら本を読む、ラジオを聴きながら文章を書くといったことをするには、僕の感覚では一度「意識を剥がす」という段取りが必要なのだけれど、どうも僕はこの意識を剥がすことが得意でないらしい。集中力を欠いているから集中しやすい環境を作る必要がある、と言えるかもしれない。
 やりたいことがたくさんあるときに、なかなか何もできないと、どうしても焦ってしまう。焦りが生まれると、なおさら集中力を欠く。この時期は野球もあるから、まあ、しばらくは「その他」の忙しさが過ぎ去るのを待つしかないのかもしれない。あれもこれもと、焦らないように。