文学活動としての風鈴書房

 少し前から、風鈴書房のことを「文学活動」と称しています。
 風鈴書房が誕生したのは今年の1月でしたが、それ以来、風鈴書房とはなんぞや、という問いが僕の中にありました。その問いに悩み、考え、時に忘れ、と繰り返していましたが、少し前に「自分がやりたいのは文学なのだ」と気づきを得るタイミングがあり、それ以来、「文学」という大きな言葉を使うようにしました。

 文学───大きな言葉です。僕の手に負えないとさえ思う、巨大な存在です。「あなたにとって文学って何」と問われたとき、それに対する明快な返答を、僕はまだ持ちません。明快な答えを持たずとも、書くものによって「私の文学」を提示することが、目標でもあります。
 目標、つまり「文学活動」とは、ある種のスローガンであると言えそうです。この大きな言葉をスローガンとしてぶち上げる。僕にとっては、希望であるとともに、覚悟を示したつもりでもあります。

 いま、風鈴書房は三冊の日記本を出しています。その最新の日記本第3巻『ここが日々なら』のあとがきにも書きましたが、この一連の日記本は、第5巻でいったん終了する予定です。逆に言えば、あと二冊は出します。
 ここまでの三冊は、僕にとって、「日記本を模索する日記本」でした。あと二冊も、おそらくそうなるでしょう。模索はどこまでいっても終わる気配がないのですが、しかしどこかで区切りが必要だと感じます。このパターンの日記本───つまり毎日の事柄を、軸を設定せずに記述する日記本───は、来年1月頃の記録をもって、一度エンドマークを打つつもりです。

 先ほど、「文学って何」という問いに対する明快な解を持っていないと書きましたが、ひとつ言えるのは、文学は、小説だけではないし、詩歌だけではないし、随筆だけではないし、評論だけではないし、戯曲だけではないし、日記だけでもない……と、何か"だけ"ではないということです。そこには、大いに越境や混淆が存在するということです。

 以前、僕は小説を書いていました。いえ、いまも書いています。ブログに随想(のようなもの)を書く活動を長く続けていました。ネットラジオに夢中になっていた時期もありました。
 振り返ると、「書く」ことのはじめは、鉄道紀行文でした。いや、もっとさかのぼれば、僕は大学で書くレポートが好きでした。中でもいくつもの文献にあたってそれをまとめるという作業がとりわけ好きでした。
 やったことがあること・手法をミックスし、場合によっては取捨し、書いていきたい。そしていずれは、これまでやったことがないことをやってみて、取り入れていきたい、そう思っています。まさに去年、日記をつけはじめ、いま、日記本を作っているように。

 さて、来年、風鈴書房としてやろうとしていることが、いくつかあります。「やれたらいいな」レベルのものから、かなり具体的に進行を考えているものまであります。
 やろうと思っていることを実際にやるのは、エネルギーを使います。でも、やらずにはいられない。そんな「やらずにいはいられない」ことを、どんどん増やしたい。そう思う最近です。