アイロンをかけるときに音楽を聴くということ|アイロンに最適な音楽を求めて vol.00

 アイロンをかけるという行為が好きだ。電気製品の重みを感じながら腕を動かすと、シャツの皺がひとつひとつ伸びていき、物事があるべき姿に戻っていく。何かを考えていてもいい。何も考えなくてもいい。意識と行動を分離させることができる、数少ない日常行為だ。

 僕はアイロンをおおよそ週に一度かける。洗濯したシャツの皺を、これから着る一週間分、まとめて日曜日の夜に伸ばすことが多い。一枚あたりおよそ五分。それは、それまでの一週間を閉じる行為であり、そこからの一週間を開く行為である。

 あるとき、ふと、アイロンをかけるときに聴く最適な音楽は何だろう、と考えた。日曜日の夜という、穏やかな時間を壊さず、しかしアイロンをかける時間がさらに心地よいものになる音楽。心躍る音楽。それは何だろうかと思った。

 行為が心にもたらす効能としては、食器洗いもアイロンに似ている。物事をあるべき状態に整える行為。無心に、没頭できるというところも同じだ。

 しかし、食器洗いに適した音楽を探すのは、アイロンに適した音楽を探すより、困難なことだろう。というのも、食器洗いの最中には、原則として音楽を聴くべきではないからだ。

 食器洗いは、繊細な行為だ。食器の種類が多ければそれだけ対応の細部は変わるし、汚れの種類を見極めてそれに適した洗い方を選択する必要もある。そこに音楽が入る余地は少ない。集中を欠けば、食器を落として割ってしまうおそれもある。手を傷つけてしまう危険だってある。

 対して、アイロンがけは、対象がシャツに限定できるのであれば、同じ動きの繰り返しだ。パターンは食器洗いよりもはるかに少ない。気をつけるべきは火傷ぐらいなもので、つまり意識を分散させることが可能だ。

 であるならば、アイロンがけを、さらに実りある行為へと昇華させることができるのではないか。週と週を橋渡しする行為としてのアイロンがけを、より高い位置へと押し上げることができるのではないか。僕はそう考えた。

 アイロンをかけながら、音楽を聴き、音楽を探す。日々の試みとして、取り組んでみる。
 その取り組みの記録を、これからつけていこうと思います。