1月10日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.006

 とある本の記述を確認したくなって、本棚を探した。

 ほとんどの本は即座にどの棚にあると答えることができるけれど、たまに「あの本はどこだったかな」ということがある。自宅の外に置いてある本があるので、自宅に持ってきたか曖昧な場合もある。

 私の伯父は、「絶対に持っているが探すのが面倒」なときは、同じ本を二度購入するらしい。私はまだそこまでの状態ではない。たいていの本は労せずに取り出すことができる。とはいえ、昨年、実に久しぶりにすでに持っている本を間違って購入してしまい、その自信を少し失った。


 本を探すことは、本棚全体を眺めることでもある。

 考えてみると、どこにどの本があるかを把握しているがために、本棚全体を眺めるという機会が減っている気がする。

 必要な本をピンポイントでピックアップするというのは、ネットショッピング的な本の選び方・楽しみ方で、どこにどういう本があるかと棚全体を眺め、背表紙や表紙を丹念に追っていくという実店舗の本屋の味わい方とは異なる。

 そういう、空間的な幅や奥行きをもって本に触れることを無常の喜びにしてきたと思っていたが、一番身近な自宅の本棚でそういう接し方をしていなかったと気づき、年明け早々に反省させられてしまった。


 ところで、私は表を作ったり眺めたりするのが好きだ。

 家計簿をつけているのも、枠を作りその中身を埋めていくという作業そのものが好きだからではないかと思う。後からその内容や収支を省みるということをしないから、「功利的」な家計簿の使い方とは言えないのかもしれない。単に家計簿をつけることを楽しむために家計簿をつけているのかもしれない。

 持っている本を一覧にして、本棚のどの棚に置いてあるかまでリストにしたいという思いを、ずいぶんと前から抱いている。実際、十年ほど前に試みたことがあったが、その後継続しての更新はしなかった。現実的な話としては、いまからリストにするのは費やす労力が膨大だし、本棚というのは出入りもあるから、実現する見込みは低いだろう。それに、自分一人の本棚なので、そこまでする必要がない、ということも言える。


 図書館のように本や棚を把握したいと思うのと同時に、自分の本をもう少し公共のものに近づけたいという思いも、二年ほど前から持ちはじめている。

 完全に公共のものにしたいわけではなくて、信用できる人たちとの半共有物にしたい、というのが正確かもしれない。

 二年前から足繁く実店舗の本屋に通うようになり、その色々の棚を眺めるうちに、自宅の本棚が閉ざされていることや、本を拾い上げるのが自分しかいないことが、実にもったいないことだと感じるようになった。

 また、本のコンディションに対するこだわりが徐々に薄れてきた、という心情の変化もある。

 装丁の汚れや破れや折れなどというものに、数年前までと比べるとかなり寛大になったという自覚があるが、以前までの自分なら、あまり他人に自分の本を触られたくなかっただろう。

 そうなるとやはりデータベース化が必要で、しかしそれには膨大なエネルギーと時間が……と、堂々巡りをしてしまう。

 まあ、そのあたりは追い追い考えるとして、しかし本棚を眺めていたら、もう一つの趣味、模様替え熱が高まってきて、本の並び替えや整理整頓がしたくなってしまった。


画像は『重版未定 同人誌版総集編』(川崎昌平/polocco/2018)p.114より
あんまり本を共有されると出版社は困るという編集長のお言葉