1月13日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.009

 自宅と「通勤先」の間には急な坂がある。行きはヨイヨイ帰りはツライというわけで、夕方には壁のようなその坂を上らなければいけない。もともと体力があるわけではないので、頂上までペダルを踏むと心臓はバクバクだ。それでも、なにしろツール・ド・フランスを熱心に見ていたものだから、超級山岳を攻略するクライマー気取りで、何%の勾配か見当もつかない激坂を上りきる。

 ところが、我がシティサイクルに「超級山岳」はハードすぎたようで、昨年の暮れにハンドルがガタガタしはじめた。手首を上に返すとハンドルも上を向き(ブレーキが空の方を向く)、下に返すとハンドルも下を向く。数日するとこのままハンドルが本体から抜けてしまうのではないかという具合になり、激坂の下りが非常に恐ろしかった。

 あわててなんとか大きさの合う六角レンチを探し出し、ネジを締め直してことなきを得たが、その後も繰り返し上り坂にアタックしていると、先日からまたギシギシと嫌な音が響くようになり、日に日にその音は大きくなるばかりだ。昨年のゴールデンウィーク、つまり前回の緊急事態宣言下に購入し、本格的に乗りはじめたのは9月後半になってからだったが、日常的に上り下りするのは負担が大きすぎるのかもしれない。そういえばブレーキも購入した頃より効きが甘くなってきた気がする。


 高校生の頃、片道18キロを自転車で通学していた時期があった。定期代をもらって定期券を買わないというセコい考えからだったが、月に一度はパンクしたし、雨の日は電車に乗ったりと、労力のわりに金銭的な実りはなかった気がする。

 それでも、いまでもふとあのときに目に映った光景を思い出す瞬間があって、いまよりはるかに体力があったはずのその時期に、そういう向こう見ずなことをやっていてよかったと思う。あの頃は自転車さえあればどこへでも行けたし、その自転車が特別な機能を備えている必要もなかった。

 それにしても、道中でパンクに襲われたとき、残りの道のりをどうやって進んだか、それだけはどうしても思い出せない。歩くには距離が長すぎるし、途中のどこに自転車屋があるかなんて知らない。「よくパンクした」という言葉だけがあって、その内実は記憶の闇の中だ。