1月14日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.010

 勤めの仕事はパソコンでの作業で、この文章もパソコンで書いている。勤めが忙しい日はパソコンを見る時間が長くなり、勤めが暇な日も文章を書くからパソコンを見る時間が長くなる。長くなる、というか、いつだって長い。スマートフォンを見る時間は比較的少なめだと思うが、それでも見ないわけではないし、テレビ画面も見るし、本も読むし、ノートにペンを泳がせるときもある。僕の目は働きっぱなしだと、最近よく思う。ここ数日、忙しくて、目の焦点がたまに合わなくなる。

 祖母は、のんびりするのが苦手だという。ずっと忙しい生活を送ってきたので、のんびりするということに慣れていないのだ。僕もあまりひとのことは言えそうにない。


 好きなものについて語ることはあっても、語り合うことは少なかった。「ほとんどなかった」かもしれない。

 あまり語り合いたいと思うことがなかったのかもしれない。でも一番の理由は、僕の好きなものをみんなは好きにならなかったし、みんなが好きなものを僕は好きにならなかったからではないかと思う。

 いや、この書き方は全然正確じゃなくて、うーん、つまり、みんながそれを好きになるタイミングと、僕がそれを好きになるタイミングがずれているというか、僕がそれを好きなとき、それを好きなみんなと僕は近しい場所にいないというか。たいてい、僕はそれを少し遅れて知る。

 親よりも歳上の小説家、すでに亡くなった漫画家、解散したバンド。そんな彼らの作品が、棚の大部分を占める。いまこの本を読んでいるのは、いまこのCDを聴いているのは、世界で自分一人なのではないか。そんなことを時折り思う(だいたいCDというのがもう古い)。

 好きなものを語り合う人の輪に、なかなか入ることができなかった。「入らなかった」というのが100%正確なわけではなくて、指をくわえてうらめしそうに見ている瞬間だってあったはずだ。


 疲れた目の力を抜いて、ぼーっと本棚を眺める。

 いい棚だ、と思う。たとえ他の誰も愛さなくたって、僕だけはこの棚を愛そうと思う。たとえ他の誰も読まなくたって、僕だけはこの本の読者であろうと思う。この文章の読者であろうと思う。

 寂しくないかと問われれば……うーん、どうしよう、ぜーんぜん、寂しくない。

 顧みられないことに慣れてしまうのは、おそろしいことだ、と思った。