1月19日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.014

 「通勤」をする日は、昼ごはんを祖母と一緒に食べる。

 静かに食事をしていたら、ぽつりと祖母が言った。「昔は食事中に喋っていると怒られたねえ」と。

 祖母の言う「昔」だから本当に昔のことなのだろう。僕なんかサービス精神が旺盛で食卓が静かだとすぐに喋ってしまうから、「昔」だったら毎日怒られていたかもしれない。


 やがて時代は変わり、食事は和気藹々とした一家団欒の時間となる。僕も怒られなくなる。

 ところが、テレビが家庭にやってくると、また食事中の会話はなくなった。みんながテレビに熱中するようになったからだ。目の前のお椀がなくなったとしても気づかない有様だったそうだ。

 そこで家庭によっては食事中のテレビ禁止というルールが作られるようになった。僕の家でも以前は食事中にテレビをつけなかった(実家を出てしばらくするといつの間にかそのルールはなくなっていた)。

 そのうちにみんなテレビにも慣れたのか、テレビを見るがために黙ってしまうということは減ったが、今度は携帯電話・スマートフォンを見ながら食事をする一派が出現する。さすがにスマートフォンを操作しながらの食事はみっともないと思うが、しかしテレビを見ながらの食事が行儀が悪いと言われれば、返す言葉がない。

 ともすれば食事もテレビも「ついで」になってしまうのだけれど、少なくとも食事は「ついで」や「ながら」ではいけない。これはいかんと反省をしつつ、しかし今夜も録り溜めた番組を再生してしまう。一度に終わらせようとしてしまうのは、つまりは貧乏性なのだろう。


 最近はウイルスの影響で、また静かな食卓の励行が求められるようになった。なってしまった、というべきか。

 でも、会話の弾む食事に慣れてしまうと、押し黙っての食事は、やっぱりずいぶん居心地悪く感じてしまう。ついついはす向かいの祖母の方に顔を向けて喋ってしまい、ハッと正面に向きなおすということを、去年から続けている。


 ところで、今日の食事中、突然「ショウイ軍人」はどういう漢字かと聞かれた。漢字(「傷痍」と書く)を示すと、「戦後は街角に本当によく立っていた」と言う。祖母はいま、自分史を書いているのだ。

 「腕のない人、脚のない人、『空襲警報だ!』と叫びながら走り回っている人、あの頃はいろんな人がいた」と語る。

 水木しげるは戦地で左腕をなくした、まさに傷痍軍人で、復員後には「傷痍軍人による街頭募金」も行ったそうである。

 若き日の祖母の視線の先に、若き日の水木しげるがいたかもしれない。二人が同じ景色の中にいたかもしれないと思うと、遠い歴史の中だと思っていた話が、本当はそう遠いものでもないことだと、思い知らされるような気持ちになる。