1月31日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.018

 風呂に入っているときに、よくアイデアが浮かぶ。血のめぐりの関係かもしれないし、閉ざされた個室というのがいいのかもしれない。まあ、風呂に入っているときはたいてい夜なので、そのアイデアが使い物になるかはまた別の話だが。

 風呂というのは、当たり前のことながら全裸であり、すぐにメモをとることができない。多くの場合、風呂から出るときには、あるいは記録ができる状態になったときには、アイデアの一部、ひどいときには全部が霧散している。何か思い出さないかともう一度風呂に戻ってみたりもするのだが、まず思い出さない。

 以前、風呂で文章を考えていたことがあって、その頃はだいたい5千字ぐらいの文章であれば記憶することができた。文章を練り、繰り返し頭の中で唱える。そうやって覚えた。もっとも、その文章の出来がどうだったかは、いまとなってはわからない。あまり浮かない時期だったから、思考も暗くなっていたような気がする。とはいえ、いまはそれをやろうと思ってもできそうにないから、それなりに特別な方法だったのかもしれない。単純に短期的な記憶力が落ちているだけなのかもしれない。

 というわけで、何かを思いついたらすぐ記録できるように、メモを脱衣所に持っていくことにした。キーワードだけでもメモできれば、これまでのような悔しい思いはしなくていい。

 ついでに寝室にもメモを携帯するようにした。これは僕がスマートフォンやタブレットを寝室に携帯しないので、何か思いついても記録できる術がなかったからだ。寝室ということは思いついた後には寝てしまうので、翌朝には忘れてしまう。寝る前に本を読んでいるとちょくちょく調べたい事柄が出てくるのだけど、これも翌朝には忘れてしまう。

 これはあくまで何か思いついたときに近くにメモがあったらいいなという話であって、風呂でも布団でもメモすべき何かを考えようという話ではない。

 以前、ラジオで遊んでいたとき、最初は生活の中で目につくものを話のネタにしていたのだけど、そのうち話のネタを見つけるために生活を送るようになってしまって、何かネタはないか何かネタはないかと四六時中ギラギラした目で過ごしていたことがあった。こんなハイな状態を続けると反動で疲労も強くて、だんだんただの生活に息切れするようになってしまった。これはまさに本末転倒だけれど、ともすればこういうことになりがちなので、気をつけなければいけないと、自分に言い聞かせる。