1月9日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.005

 漫画『ダイの大冒険』が好きだ。80年代~90年代に「週刊少年ジャンプ」で連載されていて、私が小学生の頃に連載が終わった。たしか親戚がコミックスを持っていて、特に前半はそこで読んだ気がする。この漫画を読んだ当時の小学生で、傘でアバンストラッシュをしなかった子供はいないだろう、と思うほど、わくわくする漫画だ。

 コミックスではなく、のちに出た文庫版を社会人になってから全巻買っていたのだけれど、財政難で売ってしまった。岡崎体育の「エクレア」という曲に、「全巻揃えた漫画を売ってその都度後悔する/六畳一間の宝物をまた自ら減らす」という歌詞があって、この曲を聴くたび、私は『ダイの大冒険』文庫版と、当時住んでいた下町の陽の差さない一階の部屋を思い出す。

 それから数年が経ち、そろそろ買い戻すかと考えていたところに、アニメ化の話が発表されて、少し待っていると新装版の発売が発表された。

 家の近所にツタヤがあり、そこは漫画の品揃えは比較的豊富なので、毎月の発売日、ツタヤで『ダイの大冒険』を買っている。はやる気持ちを抑え、家に帰り、シュリンクを外し、ページを開く。読み終わり、早く来月が来ないかなあと思う。

 そういうわけで、今年最初に買った本は、『ダイの大冒険』新装版の9巻と10巻だった。


 そのツタヤは、ツタヤなので、もちろんレンタルのコーナーもある。もう長いことレンタルのフロアには行っていないが、以前と変わりがなければ、漫画のレンタルもやっているはずだ。

 なかなか『水木しげる漫画大全集』のページを開かないのは、その前に貸本についての本を読んでいたからだった。

 貸本というのは、本のレンタルで、60年代初頭の最盛期には2万~3万(数字の幅が大きいが)の貸本屋が存在したという。いまのツタヤなどのレンタル店とは、「システムとしては似ているが本質はまったく似ても似つかない」(*1)というが、当時の貸本独特のものとして、貸本には「貸本専門」の出版社が存在していたということも挙げられる。つまり「買うことはできず、借りることしかできない漫画」があったということだ。

 というぐらいの知識はあっても、その後消滅してしまった貸本・貸本屋という世界は、消滅後に生まれた自分にはいまいちピンと来ないのもたしかで、そうなると資料に当たるのが最初にとる方策だ。


 作品と作者は分けて考える、という考えに、昔からどうも素直に頷くことができない。

 できないので、誰かの作品を好きになったら、その作者のことや、その作者のほかの作品のことを知りたいと思う。さらにその周縁のことを知りたいと思う。

 そうやって、鍬で畑を耕すように、少しずつ世界を広げてきた。硬い土も、手を加えれば、だんだんとほぐれていく。そうして柔らかくなった土地に、種を蒔き、水をやる。時には、肥料もやる。

 まずは外堀から、という手段をいつもとるわけではないけれど、じっくり全集を読もうというのだから、じっくりその世界に入るのもいいし、全集を読むことは、作品と作者を分けずに考えるという、そのことそのものなのかもしれない。

 全集を全集として向き合おうとしなければ、あらためてこう考えることもなかったかもしれないから、すでに自分にとっては大いに意味のある取り組みだと感じる。



*1:『貸本マンガRETURNS』(貸本マンガ史研究会・編著/ポプラ社/2006)p.278