1月2日、新年二日目。
新年とはいっても、二日前はまだ昨年であり、2021年1月2日午前0時00分と2020年12月31日23時59分の間には、わずかに24時間と1分の差しかない。
ではその一日や二日で何かが変わるのか? と問われれば、変わる、と答える。
その間には、その連綿と続く時間の流れには、人為的かつ自然的に設けられた一本の区切りの線がある。その線を跨いだ瞬間に、気分が変わる。気分が変われば、見える景色も変わる。見える景色が変われば、世界そのものが変わってしまう。
いや、正確には、線ではないのかもしれない。その線の少し前から、慌ただしく年を越す準備が進められ、その時間はもう非日常性を帯びている。年明けも、年が明けたと実感するまでにはわずかながら時間を要する。その「年末年始ベルト」とでも呼ぶべき地帯をくぐり抜け、私の体は2020年から2021年へと移動する。
毎年、年末は忙しい。年明けも慌ただしく、「休み」という感じのある冬休みは、実家を出て以来ほとんど経験したことがない。
この年末年始は帰省をしなかった。ではのんびり過ごせたかというと、全然そんなことはない。
そもそも勤め仕事が昨年は29日まで稼働日だった。一昨年(2019年)、12月23日に働くのははじめてだと妙な気分になったが、12月29日に働くのはおそらく昨年がはじめてだったのではないかと思う。
元日には、近所の祖母の家で、ささやかに新春の訪れを祝した。餡餅雑煮を食べ、おせちを食べ、日本酒を飲む。
そのための準備、例えば料理であったり、物理的距離を開けるためのレイアウト変更であったり、といったものがあり、その多くは妻が担ってくれたが、少ないながらも私も働いた。毎年、12月の30日と31日には決まった役割があったが、それとは違うはじめての仕事に取り組んだ。慌ただしいの中身は変わったが、慌ただしいこと自体には変わりがなかった。
準備をすれば、片付けが生じる。祭りには、終わりが訪れる。
我々は皿を洗い、テーブルを元の位置に戻し、アクリル製のパーテーションを解体しなければならない。
テレビの中の秩父宮ラグビー場には、先ほどまでは眩しいほどの陽が射していたが、気がつくと照明灯が輝いている。
家を出て見上げれば、空が西にかけて、深い青からオレンジへのグラデーションを描いている。崖の上に出ると、遅い夕焼けの中に、富士山がシルエットとなって浮かんでいる。
これにてハレの時間は終わり、温まるのが遅いエンジンをかけなければいけない。寒さも相まって、エンジンが本格稼働するまでには時間がかかるだろう。
早くも5日には、祖母の家に通う日々が再開する。
走り続けながら、本当にこのわずかな時間で何かが変化したのだろうか?
いや、何より、わかりやすい変化があった。
2020年にはなくて、2021年にはあるもの。
2021年、私は、この日記を書きはじめた。