2月2日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.020

 今日は節分。ということは明日が立春だ。

 今年は節分が2月2日(ということは2月3日が立春)という珍しい年らしい。春分の日や秋分の日だって年によって微妙に前後するんだからそういうこともあるのだろう、と僕自身はあまり驚かなかったのだけど、これはトンチンカンな発言なのだろうか?


 節分で思い出したのだけれど、去年のこの時期のことは、日記本第2巻(『それでも日々に踊る』)に記されている。

 読み返してみると、たとえば僕の日記本ではじめて新型コロナウイルスについて触れられたのが2月5日のことで、「新型肺炎(コロナウイルス)はいつごろ終息するのか」と書いてある。いま見るとずいぶんのんきな書き方に見える。「マスクがどこにも売っていない」とも書いてある。

 なぜ節分で日記本のことを思い出したのかというと、当時、わが家で鬼について話題になったことがあったからだ。日記によると2月10日に夫婦で話し込んだようだ。


 小松和彦『鬼と日本人』(角川ソフィア文庫)はまさにこの時期に読んだ本で、節分に登場する鬼と豆まきの起源についても検証されている。

 節分(季節の分け目)というのは立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれ前日のことであるけれど、いわゆる単に「節分」というと、立春の前日だけが意識される。冬の終わりが一年の終わりであり、春のはじまりが一年のはじまりだから、立春とその前日(節分)は特別なのだ。

 その「一年の境目」になぜ鬼が出てくるのか。小松氏はいくつかの説を紹介した上で、「私たちの節分の行事は、年が変わるその境目から異界の神霊たちが侵入してくるという民俗的信仰をふまえつつ、中国から入った宮中の追儺儀礼、仏教の追儺儀礼などが習合しながら、中世のころにでき上がった習俗、ということになるのではなかろうか」とまとめている。

 追儺《ついな》儀礼というのは、大晦日の宮中で行われていた、目に見えない疫鬼を追い払う儀礼のことであり、のちにはその儀礼の中心的役割を担っていた(つまり追い払う側だった)方相氏《ほうそうし》が、逆に鬼と誤解されて外に追い立てられるようになったという。儀礼において、方相氏は、「黄金四つ目の仮面をかぶり、赤い衣装をまとい、右手に鉾、左手に盾を持って」いたという。

 これを起源とした追儺が仏教の法会でも取り入れられ、民間に流布し、やがて節分の鬼になったのではないか、というのが、小松氏のまとめだ。

 豆まきについては、お伽草子『貴船の本地』をひき、鞍馬の毘沙門天が鬼退治の方法として、煎り豆で鬼の眼を打つように告げた話などが紹介されている。

 一年ぶりにパラパラと読み返して、ずいぶんと読み応えのある本だと感じ、そういえば一年前にも「読み応えがある本だ」と思ったことを思い出した。どうやら僕の手帳では「読み終えた」記録がないので、当時は最後まで読むことがかなわなかったようだ。再チャレンジのチャンスだ。


 ところで、一年前の日記を読んでいると、思い出すことがかなりある。"まだ"一年なのか、"もう"一年なのか。いまはまだ、僕にとっては主観で見ることしかできない日々だが、もっと時がたてば、いずれはもう少し客観的に見ることができるのだろうか。まだ、この日々に込められた意味を──そういうものがあるのだとしたら──きちんと見いだすことが、いまはできない。

 それにしても、この頃は、毎日満員電車に揺られていたのだなあ。