2月21日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.029

 僕はこの日記を、本当は縦書きで表示させたいと思っている。が、ウェブの記事を縦書きにするのはなかなか難儀で、その画期的な解決法を僕はまだ知らない。なので抵抗はせず、横書きで書いている。もしこの日記を本にまとめることがあれば、そのときは縦書きになっているだろう。

 ブログをはじめるにあたり、デザインの設定をするのだけれど、文字のフォントもかなり悩むところだ。僕はこのブログで、はじめて明朝体のフォントを使った。過去幾度となくブログやそれにウェブサービスで文章を書いてきたけれど、これまではすべてゴシック体だった。

 明朝体を選んだのは、いままで使ったことのないフォントを使ってみたいと思ったからだった。また、Bloggerを使うにあたり参考にしたブログが明朝体だったという理由もある。

 横書きの、というかウェブ上での明朝体に接する機会がそこまで多くないこともあって、自分の文章が横書きかつ明朝体で表示されるのは、なかなか新鮮な感じがした。

 しかしながら、やはり横書きでの読みやすさはゴシック体に一日の長があるとも感じた。なので、ひとまずこの記事からはゴシック体での表示に変更する。あくまでこのブログでは、という判断として。

 まだ過去の投稿数がそこまで多くないこともあって、全記事のフォントを変更することも考えたが、それはやめた。その変遷がたどれるのもまた、いいと思ったからだ。


 ウェブ媒体では、そうやって瞬時に変更を加えられるのが便利だ。そして逆説的に言えば、それが僕が紙媒体に信頼を寄せる理由でもある。

 〈紙〉というのは、「残る媒体」であり、それは残酷なことでもある。でも、だからこそ素晴らしいと言える。だからこそ信頼できると言える。消すことができないがゆえの覚悟が、紙にはある、と僕は思う。

 ウェブで文章を発表する・読むという機会を、僕は数多く享受してきたと思う。なのでそこにはネガティブな思いよりポジティブな思いの方が先に立つ。けれども、享受してきたからこそ、その手軽さがもたらす不確かさや、不毛さや、むなしさや、怖さもより強く感じる。便利な面は脆さにもなり、不便な面はしたたかさにもなる。それをここ数年、とてもよく感じる。

 これまで享受してきたものを、否定はできない。否定するには堪能しすぎている。でも、僕の中でここ最近進んでいる〈アナログへの回帰〉は、おそらくまだ進むのではないかという予感がある。これについては、日記本第5巻の中に、もう少し踏み込んで書けたらと思っている。もしかしたら、日記をはじめたこと自体が、その〈回帰〉の流れの途上にあったものかもしれないと、そういう仮説さえ、僕は抱いている。