3月13日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.038

 500円玉が現行のものに切り替わって見かける頻度が減ってきた頃から、一時期、旧500円玉を集めていた。お釣りなどで入手した際、使わずに貯金箱に入れるようにしたのだ。スタートは大学生の時で、そこから3、4年で50枚ほどが貯まった。最初はわりに流通していたのだが、たしか2007年頃にはかなりレアな存在だったような気がする。この旧500円玉、その後もしばらく手元にあったのだけれど、いつだったか、お金に困って〈換金〉した(旧硬貨のままでも使えるので変な表現ではあるが、ニュアンスは伝わるかと思う)

 先日、旧千円札(夏目漱石)を見せてもらう機会があった。「なにか違和感があるなと思ったら、旧紙幣だったんですよ」とその店のご主人が言ったが、たしかに久しぶりに夏目漱石を、しかもピン札で見ると、強烈な違和感がある。はっきり書くと、一瞬、ニセ札のように見えた。

 あんなに親しんだお金だったのに、と思うけれど、そもそも野口英世の千円札しか知らない世代にとっては、〈使えるお金〉とは思えないだろう。僕も、例えば聖徳太子の一万円札は実物を見たことがないので、本物と偽物の区別がつかない。

 一昨日、パン屋で会計をした際、お釣りで出てきた500円玉の光沢の具合が、見慣れないものに感じた。店内の照明が暗めだからかと思ったが、今日になって家計簿をつけるためにあらためてみると、なんと旧500円硬貨。新規の対面は十年以上ぶりだろうか。いまさらもらっても使いにくいので困る気もするが、そういえば500円玉ってこういうのだったなと、懐かしい気持ちになった。千円札1枚より、500円玉2枚の方がリッチな気がするから、500円玉って不思議だ。