4月13日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.044

 「まん延防止等重点措置」だそうだ。なぜ「まん」がひらがななのかと思っていたら、「蔓」(訓読みだと「つる」)が常用漢字ではないかららしい。「蔓延」と書くといかにも「はびこっている」(漢字で書くと「蔓延っている」)という印象なのに、片方をひらがなにすると途端に間延びした感じになるから不思議だ。いっそ全部ひらがなにした方がマシなのではないかとさえ思う。

 「障害者」を「障碍者」や「障がい者」と書くことがある。おそらくネガティブな意味しかない「害」の字を嫌うためで、ただし「碍」の字もまた常用漢字ではないこともあり、ひらがな(「がい」)の表記の方がより多く見る印象がある。

 ネガティブなイメージや偏見・差別の歴史から表記を変えようという考えに至った経緯そのものは理解できるのだが、であるならば、いっそまったく新しい呼び方を作ればいいのに、と思う。「障害」を「障碍」「障がい」にというのは、問題のすり替え、もっというと「臭いものに蓋」に見えて仕方がない。書く側はそれで配慮した気になるかもしれないが、表記を変えることが状況をポジティブな方向にどれだけ向かわせたかと考えると、当事者としての僕は、その効果が疑問であるし、結局のところ書く側が満足しているだけのように思えて仕方がない。

 言葉や表記から受ける印象を重く見るなら(僕としてはもちろんその部分を重く見ることに異論はない)、浸透に時間がかかったとしても、まったく別の言葉に変えてしまった方が、よほど健全だと思う。「インディアン」を「ネイティブ・アメリカン」に変えたように、「シンクロナイズドスイミング」を「アーティスティックスイミング」に変えたように。

 どうしても〈ごまかし〉にしか見えないから、「障がい者」表記が「まん延」しているのを見ると、僕は「暗たん」たる気持ちになってしまうのだ。