5月6日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.048

 平日の日中でも暇なときは本を読んでいる。前の勤務先では「忙しい」か「ものすごく忙しい」しかなかったので、「わりに時間がある」や「ヒマ」というのは、ほとんど革命的な転換だ。とはいえ、出社していたらいかに暇であっても堂々と本を読むのは難しいので、テレワークならではと言えるだろう。

 『水木しげる漫画大全集』は大きいのだけれど、今日は時間がありそうだという日には携帯する。もちろん結局時間が取れずに持って行き損な日も発生するが、手元にないものを読むことはできないので、その〈読み違い〉は気にしないことにしている。重量制限があるわけではないので、ちょっと頑張ればいいだけなのだ。


 漫画の〈絵柄〉は、文筆の〈文体〉に相当するだろうか(漫画にも文はあるけれど)。新鮮な文体に出会ったとき、その新鮮さがクセになる場合もあれば、やがてうんざりするようになる場合もある。文体は〈生き方〉みたいなものだから、合う/合わないはどうしたって生まれる。体が受け付けない文体を読み続けるのは難しいが、かといってそれはその文体が程度の低いものであることを意味しない。

 絵柄も同じで、合わない絵柄の漫画を読み続けることは難しい。もちろんその絵柄が好きだという人もいる。絵柄の合う/合わないは、その絵の「優劣」を決定づけない。少なくとも僕にとっては。「お前がそれを信じてなくても他人の神様の悪口は言っちゃいけない」というセリフが『子供はわかってあげない』(田島列島)にあったが、まあ、そういうことだ。

 水木しげるの絵柄は大好きで、こればかりは好きでないと100巻以上も読んでいられないだろうから、好きでよかったと思う。もっとも、好きでなければそもそも全集を全部読もうなんて思わないだろうから、順番が逆かもしれないが。


 先日シリーズ最終巻を出した日記本を、最初から読み返そうと思っている。「他人の神様の悪口」は書いちゃいないつもりなのだけれど、いかんせん細かいところは忘れていて、心配な気持ちもある。大丈夫……だといいのだが。

 ちなみに最初の緊急事態宣言下にあった今から一年前は、小麦粉などの粉モノが品薄だったようで、強力粉しかないスーパーの棚の景色を思い出した。みんなあのときに買い込んだ小麦粉は、ちゃんと使い切ったのだろうか? 一年前の自分に「一年後もまた緊急事態宣言出てるよ」と教えたら、何と答えるだろう?