6月22日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.058「放流と実り」

 買う店を決めている本、が僕にはある。著者であったり、出版社であったり、シリーズであったり、特定の「それ」に関しては、決まった店でしか買わない。

 どこの店で買うか決めていない、どこで買ってもいい、という本の方が、数としては断然多い。

 けれども、どこで買うか決めている本については、(なるべく)その店でしか買わない。

 たとえば、その著者を教えてくれた本屋だったり、著者と関係が深い本屋だったり、その他諸々の理由だったりで、「その本」を買う店は決まる。

 僕は頑固で偏屈なので、一度「それ」と決めると、なかなかその決定は覆さない。


 頑固と聞いて思い出すのが、村上春樹がエッセイで書いていた話で、氏は滅多に腹を立てることはないが、「そのかわり「これは怒って当然だ」と再確認できた少数のケースについては、冷静にいつまでも腹を立て続けることになる」という話だ(※)

 これは僕もけっこうわかる話で、日々の中には当然カッとすることもあるけれど、その瞬間的な熱をしばらく寝かせておくと、たいていのものはどこかに行ってしまう。少しの間は思い出してイライラすることがあっても、やがて記憶から消えてしまう。

 でも、これは「怒って然るべき」と認定したことについては、十年以上前のことでも覚えているし、思い出すたびに腹を立てている。たとえば……とは、カドが立つので書けませんが。


 イライラしたときの発散方法にはいろいろあると思うけれど(暴力はダメですよ)、僕の場合は片付けだ。

 作業机周辺だったり、食卓テーブルだったり、キッチンだったりを、黙々と片付ける。散乱した本をしまう。テーブルの上のものをあるべき場所に戻し、布巾をかける。食器を洗い、シンクを磨き、コンロとコンロ周りに付着した油を落とす。

 これは僕にとってはけっこう「効く」。片付くにつれて気持ちは落ち着く。ひとまずの難を逃れることはできる。

 たとえばそれが、SNSという人もいるのだろうと思う。というか、そういう人が多いのかもしれない。用途を考えると、舞台はツイッターだろうか。イライラ発散のためのツイッター利用。効果はあるような気もするし、投稿するうちにどんどんヒートアップしそうな気もするし、途中で虚しくなるような気もする。僕はやらないので、よくわからないけれど。


 いつだったか、怒りについての〈対談〉をしたことがあって、当初は公開を考えていたのだけど、いろいろあって結局はお蔵入りになった。

 その〈対談〉で出た怒りの発散方法が、時間とお金をできるだけ制約なしに使う、というものだった。

 散財とか浪費とかムダ遣いとひとは言うかもしれないが、そのときの相手はそういう言い方は好まず、「放流」という言葉を使った。

 放流したものは、やがて還ってくる──たとえば、放流されたため池の水が、農作物を実らせるように。


 昨年以来、町の本屋のオンラインストアを頼ったり眺めたりする機会が増えた。

 オンラインストアを、はしごして、本を購入する。気がつけば、時間は経過していて、お金を使っている。

 でもこれは、「放流」の側面を持っているのかもしれない、と、最近ふと思った。

 やがて、自分の元へ、あるいは誰かの元へ、違う形になって還ってくるのであれば、それは、〈実り〉と呼べるものだろうと思う。


 そうやって自分を慰める思いが半分、そして、本気でそう思っているのが半分。



※『村上ラヂオ2』所収「アンガー・マネージメント」