8月25日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.063「『境』のはなし」

 振り返ってみると、大学を出てからは、「境」にばかり暮らしてきた。

 大学卒業後、就職先の研修のために住んだ場所を除くと7回の引越しをしたが、そのうち5回が1キロ以内に都県境がある場所だった。いまの家も境までは2キロほどしかない。

 狙ってそういう場所にしか住んでいないわけではない。金銭的な事情が最大の要因だったと思う。けれども、「境」というものに、親しみを持っていたのはたしかで、その意味では、知らず知らずのうちに「境」の地が優先して選ばれていたのかもしれない。


 境についてのエピソードをいくつか。

 高校生の頃、青春18きっぷで鉄道旅をしていて、長崎駅から鈍行列車に乗ったことがあった。そのとき僕は長崎駅で名物の「豚角煮まんじゅう」を買って、できれば車内で食べたいと思っていたのだが、あいにく帰宅の途につく高校生で車内は埋まっていた。しばらくその状態は続いたが、さほど大きいとも思えないある駅で、高校生たちが全員下車し、車内は急に閑散とした。冷めてしまった豚角煮まんを食べながら、その駅が、長崎と佐賀の県境にあるということに気づいた。「境」の実効的な力を初めて見た瞬間だった。


 以前住んでいた家は、100メートルほど先の川が都県境になっていた。川のこちらは埼玉県、川のあちらは東京都。

 ところがその川はかつて暴れ川だったらしく、その名残で、わずかながら「川の向こうの埼玉県」が存在していた。また少し離れた場所には、「川のこちらの東京都」も存在していた。学校やごみ出しなどで便宜がはかられているところもあったようだが、不便な点もあると聞いた。

 いまは護岸工事で固められてしまっているが、かつての痕跡がそんなところに残っているのが印象的だった。


 2011年の3月、僕は川崎に住んでいた。家の近くを多摩川が流れていて、川の対岸は東京都大田区だった。

 震災後、川崎でも計画停電が実施されたが、夜間の停電に一度だけ当たったことがある。巨大な川崎駅が真っ暗になり、コンコースを埋め尽くした(ように見えた)人が、下り階段を一団となってゆっくりゆっくり下りた。駅前のセブンイレブンは、非常灯をつけて、電卓を使って会計をしていた。ヨドバシカメラだけが、自家発電装置があるらしく、眩しく光っていた。

 少し遠回りをして、多摩川の土手に上った。対岸の大田区からは家々の光が見えた。たとえ大田区が計画停電の範囲内だったとしても、停電時間が違えば、同じ光景が見えたはずだ。でも、大田区のほぼすべての地域が計画停電の範囲外だと知っていた僕には、その夜の多摩川が壁のように見えた。


 「川の向こうは東京都」とか、「隣の駅は埼玉県」みたいな場所ばかりに住んでいると、「境」が生活の中で見えるから、「県境をまたいだ移動」についての話が、現実味のない話にも感じられてしまう。もちろん、「そういう趣旨」ではないと、わかってはいても。


 僕にとって、暮らしてきた「境」というのは、具体的な住所にとどまらない。

 興味の赴くまま、ふらふらと越境したり、境を跨いだりして、物事を学んだり、観察したりしてきた。これからも、おそらくそうなるのではないかと思う。

 川の対岸から見る景色は、眩しく見える。あの停電の夜とは違って、対岸から見るこちら側の景色もまた、眩しいに違いない。その時、境を流れる川は壁ではなく、緩やかながらも両岸をつなぐ水の道になる。

 僕はいつでも、そんな川のほとりに、暮らしたいと思う。