8月31日|『水木しげる漫画大全集』を読む日々 vol.064「全集読破状況/グッド・バイ貸本時代」

 7月18日に『水木しげる漫画大全集』の第46巻(「鬼太郎」シリーズの最終巻)を読んでから、丸1ヶ月、全集を読むのをストップした。「鬼太郎」25冊を、約3ヶ月をかけて読んだが、その圧倒的な妖気にあてられてしまったのかもしれない。ここでいったん休憩と相成った。

 それからちょうど1ヶ月が経った8月18日、またむくむくと「水木しげる読みたい熱」が湧いてきて、そこから「鬼太郎」に続く「悪魔くん」と「河童の三平」計11冊を読んだ。

 年内の読破は黄色信号が赤信号に変わりかけている。まあ、イヤイヤ読むものではない。読みたいと思うタイミングで読むのが一番だ。

 とはいえ、いちおう数字を書いておくと、8ヶ月で57冊を読み、残すは57冊となっている。冊数は、ちょうど半分だ。


 さて、「貸本版」の『河童の三平』(53、54巻)を読み終わったことで、おそらく貸本で出た水木漫画はすべて読みきった。達成感のようなものはないけれど、あの独特の貸本の世界と離れることになるのだと思うと、どこか寂しくはある。

 「鬼太郎」も「悪魔くん」も「河童の三平」も、最初は貸本漫画として出版された。「鬼太郎」(「墓場鬼太郎」)は1960年、「河童の三平」は1961年、「悪魔くん」は1963年のことだ。貸本業界は1950年代末に絶頂期を迎えるが、「悪魔くん」が出た1963年は市場が縮小してすでに末期的状態を見せはじめていた、とされる。


 最初の『悪魔くん』が出たのは、東考社という出版社からだった。

 東考社を興したのは桜井昌一という人だ。水木漫画によく出てくるメガネに出っ歯の人物(いわゆる「サラリーマン山田」)のモデルになった人で、「劇画」という言葉の生みの親である辰巳ヨシヒロの実兄でもある。本人も漫画家で、「劇画工房」立ち上げ時のメンバーでもある。朝ドラ『ゲゲゲの女房』では梶原善演じる「戌井さん」、辰巳ヨシヒロの自伝的漫画『劇画漂流』では「オキちゃん」がその人にあたる。

 貸本版『悪魔くん』はもともと5巻の長編となる予定だったが、あまりの売れ行きの悪さに3巻で打ち切りとなった。貸本版『悪魔くん』が「これから」というところで突然終わるのはそのためだ。絶対の自信を持って世に送り出した第1巻は、2,300部刷って実売は902部で、「出版に要した代金も全額はもどらないという状態」と桜井昌一本人が書いているから壮絶だ(※)。このエピソードは、貸本時代の水木しげるの不遇を表すエピソードとしてよく語られるとともに、桜井昌一の漫画を見る目の確かさを物語るエピソードとしても語られる。


 「貸本マンガ史研究会」という同人が出している「貸本マンガ史研究」という同人誌がある。僕のような貸本という文化にまったく接したことがなく、もはや接することが不可能な世代に属する人間にとっては、貸本文化を知る上でこの同人の活動や同人誌の存在が大きな助けになっている。

 桜井昌一は2003年に亡くなったが、その後発行された「貸本マンガ史研究」第13号は、A5版160ページの全編にわたり桜井昌一の追悼特集が組まれた。破格の扱いといっていい。

 水木しげるに興味を持つまで全然知らなかった、かつて存在した「貸本」の世界、そしてそこに生きた幾多の人々。一つの興味から派生して、どんどんと興味の対象が枝分かれしているのを感じる。こんなに楽しいことは、他にはなかなかない。



 ※『ぼくは劇画の仕掛人だった』(桜井昌一 / エイプリル出版 / 1978)