よく行く本屋には、常に「いつか買う予定の本」をキープしている。
──何のために?
と思われたかもしれない。
──いつか買うのなら、すぐに買ってしまってもいいのではないか。もしかしたら売れてなくなってしまうかもしれないし、逆に売れなさすぎて返品されてしまうかもしれないじゃないか。
そう思われたかもしれない。
実のところ、その通りなのだ。
でも僕は、"なぜだか"そんな本をいつだってキープしている。
なぜなのだろう。
「いつか買う予定の本」が本屋にあるというのは、しあわせなことだ。
本屋に入り、棚を眺め、新しく入った本を確認し、この前まではあることに気づいていなかった本を認識し、この前もあった本の姿を見る。
この本、まだあるな、と心の中で思う。ときによっては指差確認をする。
もちろん、買おうと思えば今日にだって買うことはできる。しかし、その「いつか」が訪れるまでは、買わない。
「いつか」がいつ来るのか、それはわからない。
でも、「今日がそのときだ」というのはわかる。
だから、「そのときだ」と気づく「今日」までは、その本は、棚に残したままにする。
「いつか買う予定の本」は、僕の意識を少しだけ占領する。
つまり、その本を置いてある本屋が、僕の中でいつも少しだけ意識されているということでもある。
そういう本がある限り、僕はその本屋のことを忘れないだろう。その本屋に通うことをやめないだろう。
「いつか買う予定の本」は、購入の予約をしているわけではない。「売約済み」の札が本にかけられているわけでもない。いつか、店から消えてしまっていることだってあるかもしれない。
もちろん、それは残念なことだ。
でも、もしそれが「売れたから消えた」のであれば、いずれまた棚に帰ってくることを期待する。もし「売れないから返した」のであれば、あきらめて、別の店で買おう。
理由がどちらなのかを知るために、僕はまたその店を訪ねなければならない。
「いつか買う予定の本」は、そんな、おまもりのような存在であるのかもしれない。そんな、鎖のような存在であるのかもしれない。