11月6日|vol.070「1978年のスワローズ・ファン」

 先日、ヤクルトの配達を受け取ったら、「ヤクルト・スワローズが優勝したので」ということで、1本おまけをつけてくれた。「おめでとうございます」と伝えると、笑顔で「ありがとうございます」と返ってきた。ヤクルト・レディーがどれだけプロ野球に興味があるのかは、知らない。


 僕がよく読む本の著者には何人かヤクルト・スワローズのファンがいる。

 たとえば宮脇俊三は、「国鉄スワローズ」時代からのスワローズ・ファンだった。


 "ところで、きょうからプロ野球の日本シリーズが始まっている。私は昭和二五年に国鉄チームが結成されていらいのファンであるから当然ヤクルト・スワローズだ。つい最近も「好きなチームは?」ときかれてうっかり「国鉄」と答え、みんなに笑われたことがあったが、国鉄を離れてヤクルトに移ったとはいえ戦前の超特急「つばめ」に因むニックネームをちゃんとつけているのだから、そんなに笑わなくてもいいだろう。

 そのスワローズが、国鉄の斜陽時代に狂い咲いた大輪の花のように日本シリーズに登場するのだから気になる。もっとも、相手は大赤字のローカル線など抱えこまず、不動産業や少女歌劇つき遊園地などで儲けている阪急だし、盗塁の専門家を二人を傭っているから敵いっこないだろうが。"

──『最長片道切符の旅』



 「きょう」というのは1978年10月14日のことで、この年、日本シリーズに初出場したスワローズは、宮脇俊三の予想に反して阪急を下し、日本一になる。

 1978年は宮脇俊三のデビュー作『時刻表2万キロ』が出版された年で、日本シリーズが開催されていた時期は、第二作となる『最長片道切符の旅』の取材に出ていた。


 村上春樹が小説を書き始めたのは、同じくこのヤクルト・スワローズが初優勝して日本一にまでなった1978年のことだった。神宮球場で野球を観ていて、一番打者のデイブ・ヒルトンが二塁打を放ったとき、小説を書こうと思い立ったというエピソードは、この年の開幕戦の話とされる。



 "その年のはじめ、僕は神宮球場の近くに(それが神宮球場の近くであるという殆んどそれだけの理由で)引越して、暇をみつけては毎日のように外野席に通っていた。"

──「デイヴ・ヒルトンのシーズン」(『村上春樹 雑文集』所収)



 "住んでいる場所から最短距離にある球場で、そのホームチームを応援する──それが僕にとっての野球観戦の、どこまでも正しいあり方だった。純粋に距離的なことをいえば、本当は神宮球場よりも後楽園球場の方が少しばかり近かったと思うんだけど……でも、まさかね。人には護るべきモラルというものがある。"

──「ヤクルト・スワローズ詩集」(『一人称単数』所収)



 村上春樹はその年に書き始めた小説『風の歌を聴け』で、翌年、群像新人文学賞をとり、小説家としてデビューした。

 ヤクルト・スワローズが初優勝を果たした1978年、二人のスワローズ・ファンの人生が大きく変わり、やがてこの二人の本が、僕の人生に大きな影響を与えることになる。僕はまだ生まれていないけれど、1978年というのは、そういう一つのターニング・ポイントとなる年だった。