生きた声を読み取る

 今年も半分が終わるということで、今年に入ってから読んだ本をざっと振り返ってみた。今年、いまのところ一番読んでいるのは、野田知佑さんの本だった(ちなみに2位は椎名誠さん)。

 野田さんは日本のカヌーイストの草分けで、多くの日本人がユーコン川を下るきっかけとなった存在であり、チキンラーメンのCMに出たり、第二期の「あやしい探検隊」(「いやはや隊」)のメンバーとして活動したり、相棒"カヌー犬"ガクとの旅は多くの人々を魅了したり、という人物……なのだけれど、僕は世代的な関係もあって野田さんが最も有名だった時期をリアルタイムでは知らない。これらはすべて後付けの知識だ。川というものにも、正直なところあまり興味を持っていなかった。

 今年の1月に初めて野田さんの本を読み、のめり込んだ。豪快で、かつ知的で、文明批判に富み、あらゆるものを(自分自身をも)突き放しながらも優しく、信念と実力のかたまりのような文章と人柄に、僕はずっと魅了され続けている。


 野田さんのことは今年の初め、ある人に教えてもらった。若い頃に野田さんの『のんびり行こうぜ』を読み、人生の方向が変わったという話を聞き、どうしても読んでみたいと思った。

 一人の人生に決定的な影響を与えた本というものに、強く興味を持ったし、その本はおそらく僕にも決定的な影響を与えるだろうという予感があった。そういうことは、読む前からだいたいわかるものだ。

 そして現実に、その本は僕に決定的な影響を与えた。


 野田さんの旅や文体や生き様は痛快だけれども、書かれる内容すべてが痛快というわけではない。いや、半分以上は「苦々しさ」だ。

 野田さんの主なフィールドであった「日本の川」は、「開発」の名の下に、かつての美しさを失った。野田さんの言葉を借りるなら、「全滅」した。そしてその「かつての美しさ」を知る世代は、自然の摂理でどんどんと数を減らしている。僕などは生まれながらにして野田さんのいう「美しさ」を知らない。汚いものを汚いと感じなくていいという意味では、幸せだという人がいるかもしれない。もちろん、僕はそうは思わない。

 ロマンあふれる痛快な旅の風景が野田さんの文章の両輪の一方なら、失われたものへの哀しみと破壊者への怒りが、もう一つの車輪だ。

 読む進めるほどにつらくなる。一方でその生き様は憧れそのものでもある。読みながら気持ちが大きくうねる。


 今年の3月、野田さんは84歳で亡くなった。僕が野田さんの本を読み始めて2ヶ月も経っていなかった。

 そのニュースを知って、僕はうろたえた。これからじゃないか、と悔しかった。1週間ほどは上の空だったし、ため息ばかりついていた。

 僕は野田さんに会ったことがないし、書かれたものをリアルタイムで読んだこともほとんどないまま、野田さんは三途の川を下りに旅立ってしまった。

 でも僕は、野田さんの書いたものが「過去のもの」だとは思っていない。

 「生きた声」をその場で聞くことはできなかったかもしれない。

 けれども、直接は聞けなかったけれど、本から「生きた声」を読み取ることはできるかもしれない。それができるのが、「本」というものなのだと思っている。

 僕は野田さんの「生きた声」をこれからも読み取りたいと思っているし、今度は僕が、誰かにその「生きた声」を伝えたいと思っている。
 それができるのが、「文章」なのだと思っている。