傘のアイデア

 そろそろちゃんとした傘を持ちたいと思い、新しい傘を買った。

 ビニール傘に比べると実に頼もしい存在感で、早く雨が降らないかと思ったが、傘を買った直後に関東は歴史的な早さで梅雨明けしてしまい、強烈な日光が降り注ぐ日々が続いてしまった。

 それよりも少し前に、折り畳み傘も新調した。もうずいぶん前にキヨスクで間に合わせで買った500円のものが、いよいよ傘としてはかなり心もとないものになってきたのだ。たぶん15年近く使ったけれど、折り畳み傘というのはたいてい作りが弱いので風が強いと壊れやすいものの、使う頻度が低いので結局長持ちするということになりがちだ。実際に何度使ったかはわからないけれど、500円で10年以上外出時の保険となってくれたのだからいい傘だった。

 折り畳み傘の方も、もう少しちゃんとしたものを買おうと思った。それに、おそらくいまでは買おうと思っても500円で折り畳み傘は買えないのではないだろうか。

 買った傘はおもしろい形をしていて、ふつう傘といえば正八角形だったり正六角形だったり正十二角形だったり、要は突き詰めれば「円形」になるものを基本としているけれど、買った傘は全体の一部分が飛び出していて、いびつな形をしている。

 傘といえば持ち手が体の前にある関係で後ろに背負ったリュックが濡れやすいという弱点があり、一般の傘よりも小さい折り畳み傘はその弱点がより出やすいけれど、このいびつな形の傘は飛び出した部分を後ろにすればリュックを守れるというスグレモノだ。まさにアイデア商品で、これにより雨の日にはリュックを体の前に抱えなければいけないという苦労からも解放される。


 傘のアイデアとして思い出すのが、下手をすればもう25年ぐらい前のことになるのかもしれないが、アニメの『サザエさん』でこんな話があった。

 波平さんの誕生日があり、カツオくんが自作のプレゼントを贈った。その一つが木の板に一本の紐を通して把手のようにしたもので、これはバスを待つ間にその紐に首を入れれば板に頬杖をつけて楽ができるという品物だった。これは首痛持ちから言わせてもらえば首やら背中やらに変な負担がかかりそうだ。

 で、話はこのバス待ち頬杖板ではなくて、もう一つの贈り物。普通の黒い傘の一面を透明なビニール生地に変えた自作の傘だった。意図がわからない波平さんに対し、傘をさして前が見にくいときも、これだと透明な部分から前方が確認できるとカツオくんは説明した。

 いま思うと、これはなかなかのアイデアなのではないかと思うし、実際にそういう商品が売り出されていても不思議ではない。

 ただ現実には、当時小学生だった僕が、これはすごい、さすがアイデアマン・カツオと拍手を送る間もなく、気がつけば全面透明ビニール張りの傘だらけとなっていた。しかも、これでみんな前方が確認ができて安全ですねとはならず、今度は携帯電話に視線を落として雨でもないのに路上タックルが突っ込んでくる危険がある世の中になってしまった。


 ビニール傘のいいところは、重量も軽くて存在も軽いところだろう。ひょいひょいと持ち歩けるし、電車の中に忘れてしまっても、しまった、ぐらいで済む。ちゃんとした傘は存在がごついし、重さもそれなりにある。電車の中に忘れようものなら遺失物届け窓口に取りに行くし、コンビニの傘立てでは盗まれないか気が気でない。いや、そんなにしょっちゅうビニール傘が盗まれてしまう現実に問題があるのだが。

 逆にいえば、その存在感がちゃんとした傘のいいところだ。
 傘に限らず、身銭を切って買ったそれなりの値段のものは、大切にしようという切実さが生まれる。安いものだと「何が何でも」という切迫さがなくなってしまう。……うーん、それは僕の心持ち次第か?

 ここまで書いて白状すると、新しい傘は誕生日プレゼントで妻に買ってもらったものなので、自分の身銭は切っていなかったのだった。まあこの場合は、それだけ大切にしないとという思いを強くしたのだけど。