サッポロクラシックハンター

 水上勉『土を喰う日々』を読む。作家の水上勉が毎月、軽井沢の仕事場の畑で収穫できる野菜で料理を作り、また食に関する文章をしたためるという内容だ。水上勉は幼少期から若い時分に禅寺に入り台所に立っていた経験があり、その経験が文中に込められている。

 料理エッセイといっていいのかどうか、そう呼ぶと軽く聞こえるし、現に軽みのある読みやすい本なのだけれど、読むうちに体の中が少しずつ浄化されるような気分になってくる。読み終えたときは、これからはきちんと生きようとなんだか考えてしまう一冊だった。

 どうやら今秋、この本を原案とした映画が、中江裕司監督(『ナビィの恋』など)で公開されるらしいということも知った。

 単行本は1978年に出版されたが、今でも内容が色あせていないどころか、なお滋味深く読んだ体に沁み込んでくる。


 どうも僕は昭和後期から平成初期、1970年代後半から1990年代中盤に書かれた本を好む傾向が強い。もちろんもっと古い本からつい最近出た本まで読むけれど、なんとかして「出版年代別好み度」の統計をとってみたならば、70年代後半~90年代中盤がピークとなるだろうと思う。

 僕が読む本に書かれることをまとめるに、この時期というのは日本の幼稚化が加速度的に進行し、自然は破壊され、無闇な消費が礼賛され、右へ倣えの事なかれ主義がますます幅を利かせてきた時代のようだ。はっきりいって、すでにこの時期から行き過ぎた文明を批判し現代を嘆く文章には事欠かない。

 しかしながら、なのだ。しかしながら、この時代というのは、総体で見るならば、世の中に混沌とした膨大なエネルギーが蓄積されていて、時に放出され、時に渦巻き、時に暴発し、というスリリングな世界だった、と思えてならない。エネルギー渦巻くなんてことは当時の本にはほとんど書かれていないけれど、本の端々から漏れ伝わってくる。エネルギーはそれよりもさらに前の時代の方があったのかもしれないが、いずれにしても元気があってたいへんよろしいという感じ。

 それに比べればこの文章を書いている今の世の中はダシを取り尽くた鶏ガラのようなものだ。そしてその鶏ガラはゾンビとなって自分で自分の首を絞めている。空虚で息苦しい世界から見ると、荒廃しつつありながらも熱量が残っていた時代というのは、あまりに眩しい。

 そんなわけで「昔はいいなあ」と無責任な羨望の目をかつてあった時代に書かれた本に向けている。「昔はよかったなあ」というのは、なぜか嫌われる思考の代表格だが、まあ、それが無責任な羨望にならざるを得ないからなのだろう。


 さて、そんなことは置いておいてここで話は唐突に酒の話に移る。

 『土を喰う日々』には果実酒づくりの話が出てくる(十月の章)。わが家にも庭のきんかんやみかんを浸けた酒がある。梅干し(六月の章)もそうなのだけれど、自分も実践している食の話が出てくると、俄然話に引き込まれる。瓶に入った薄く黄色がかった液体を時折り揺らし、その水とは違ういくぶんどろりとした動きを眺めるだけで、心が浮き立つ。そして時たまグラスに移して飲む贅沢。


 酒でいえば僕はビール党で、たいてい家ではビールを飲む。

 先日、近所のスーパーで北海道フェアをしていて、なんとそこにはサッポロクラシックもあった。

 サッポロクラシックというのは北海道限定発売のビールで、頑張ればアンテナショップなどで道外でも通年購入は可能だけれど、努力もせずに目の前に現れてくれるのは道外では望外の出来事といっていい。僕は興奮を隠せず、とりあえず6本×2ケースを購入した(歩きなので買いすぎると持って帰れない)。

 だがそれだけの量で満足できるはずもなく、翌日、またその翌日と妻の目を盗んでスーパーに出向き、せっせせっせと都合48本を家へと運び込んだ。なかなかやるなと思ったのが、自分以外の人間もちゃんとサッポロクラシックを購入しているようで、行くたびに残り本数がぐんぐん減っていることだった。わがご近所さんたちも、この不世出のビールの価値がわかっているようだ。

 通年で売られているビールとしては、僕はこのサッポロクラシックが一番好きだ。けれども、基本的には北海道限定販売なので、購入になかなか苦労する。通販で買えなくもないが、日用嗜好飲料たるビールを通販で買うのにあまり気が進まない。

 その他の通年販売ビールで「絶対これだ」というものがないので、僕はそのときに出ている期間限定販売のビールを買うことが多い。

 最近は毎年サッポロラガーが発売されるのでうれしい。

 サッポロラガーというのは10年ぐらい前までは知る人ぞ知る銘柄だった。飲食店に瓶で卸しているのがほぼすべてで、入った飲食店にたまたま置いてあったら飲めるというレア銘柄だった。「サッポロラガーが飲みたいなあ」なんていうと、たいてい「サッポロ? キリンの間違いでしょ」といわれた。

 それがどういう風の吹き回しか、期間限定ながら缶で一般に売るようになって、幻とさえ思われた赤星(パッケージに赤い星が描かれている)を毎年拝んでいる。

 少し前まで近所に酒屋があって、そこには瓶のサッポロラガーがいつも置かれていた。他にも一般にはなかなか見ない瓶のアサヒ「熟撰」も置かれていて、この二つばかり飲んでいた時期がある。この二銘柄が通年で買えるというのはこれもまた幸運な話だった。残念ながらこの酒屋は店じまいしてしまい、跡地にはコンビニが建っている。

 いつでもどこでも買えるビール、つまりアサヒスーパードライ、キリン一番搾り、サッポロ黒ラベル、ヱビスビール、サントリープレミアムモルツしかなかれば、プレモルを選ぶ。ただプレモルはちょっと味が独特で、あまり飲みすぎると味覚がプレモル仕様になってしまいそうだから、一番搾りあたりを適宜挟みながらということになるだろう。オリオンビールでもあるとちょうど箸休めになっていいのだけれど。

 逆にこの「いつでもどこでも」の中で僕が絶対に選ばないのがアサヒスーパードライ。出されたのを断るほどではないけれど、自分で購入することはない。日本で一番売れているビール相手にいささかいいにくいのだけれども、あれはビールではなく「アサヒスーパードライ」という別の一個独立した飲み物だと思っている。

 と鼻息荒いところで急に舌鋒が鈍るけれど、実は僕がこれまでで飲んだビールの中で一番おいしかったのは、何を隠そうこのアサヒスーパードライである。

 札幌(地名の方です)にアサヒビールの工場があって、札幌で大学生をしていた頃、見学に行ったことがあった。徹夜明け、朝食抜きという過酷な冬の朝11時のことで、一通りビール造り工程を見学した後、できたばかりのスーパードライを試飲させてもらった。平日だったためか参加者は僕と友人の二人だけで、空きっ腹に飲んだ新鮮なスーパードライは、僕がそれまで飲んだ他のどのビールよりも香り豊かで密度があり、活き活きとしていた。ビールは生鮮食品だったのだと目からウロコが落ちる思いで、たちまち規定の三杯を飲み干し、酔っ払っていい気分で雪の積もる南郷通に出た。

 ビール工場の見学をしたのが15年前のそのときの一回だけなので、もしかしたら別の銘柄の出来立てを試飲すれば、今でももっとぶっ飛んでしまうほどの衝撃を受けるのかもしれない。でも、あのときの衝撃に勝るものは、もう得られないのかもなとも思う。徹夜明け、食事抜き、冬の北海道、地元の友人と一緒というシチュエーション、コンディションがなせる技だったのかもしれない。

 そう思うと、あのビール試飲でぶっ飛ぶことができた時代もまた、「あの頃はよかったなあ」なのだ。