蒸し風呂ドームの秋

 三年半ぶりに西武ドームで野球観戦をしてきた。

 先日、テレビで野球中継を見ていたら、西武が不甲斐ない敗戦を喫しており、発作的に直近の試合のチケットを買ってしまったのだ。その日はせっかく午後に休みを取っていたのに気分が優れなくて結局何もできず、みじめな思いをしていた。不甲斐ない自分が不甲斐ないチーム状況と重なったのかもしれない。

 2019年は優勝したものの現地では一回しか観戦できなかった。不完全燃焼な思いを抱き、来年はもっと足を運ばねばと心を新たにしていたのだけれど、Covid-19のために気づけばずいぶんと足が遠のいてしまった。

 西武球場前駅の改札を出ると、人でごった返していた。チケットは完売とのこと。ユニフォームを配布する日というのも影響しているのだろう。空はスカッと晴れ、日差しは強い。入場待ちの長い列にうんざりしつつも、久々の現地観戦ということに喜びを感じる。

 西武ドームというのはもともと屋外球場だったところに柱を建てて屋根を乗せたという造りで、壁がないので空調ができず外気温がそのまま球場内に反映される。しかもグラウンド部分は丘陵を掘って造成したので、つまりは局地的な盆地。さらに屋根をつけたことで空気の流れが滞る。よって、夏はサウナ状態となる蒸し風呂ドームなのだ。逆に春先の寒い日のナイトゲームはとことん寒く、僕は気温3℃の中で毛布にくるまって試合を見たこともある。

 夏の西武ドームはこの蒸し暑さとの戦い。一方でビールが進むコンディションともいえる。たまらず一番搾りとハイネケンを一杯ずつ飲んだ。ただマスクのせいで自分の息に酔いそうになり、この二杯だけにしておいた。久しぶりに大忙しだと売り子が言っているのが聞こえた。蒸し風呂の中、ビールタンクを背負って階段を上り下りし続ける彼女たちの体力と根性に乾杯。


 球場ではコロナ禍になってから、大声を出しての応援が禁じられている。

 僕はもともとあまり大きな声は出さないが、この声出し禁止というのは日本の応援歌大合唱スタイルとはとことん相性が悪い。

 応援歌自体はまだ存在していて、トランペット(録音)や太鼓は鳴り響くのだが、本来合唱が起こるところは声がないので、その箇所が拍子抜けで、圧力がない。要はカラオケ音源が流れているのと同じだ。迫力が持ち味のはずの日本的応援スタイルから、迫力が抜け落ちてしまい、ずいぶんと間抜けな感じがした。

 いっそ応援歌をなくした方がすっきりするとは思うのだけれど、まあ、応援歌がファンの体に染み付いた日本プロ野球ではそういうわけにはいかないんだろうなあ。たぶん伴奏がなくても自然発生的にメロディーに合わせた手拍子が起きるはずだ。

 よくヨーロッパのノーマスク大声大熱狂応援の光景を見ているだけに、応援の部分ではパッとしないというか、煮え切らない部分がある。

 けれども、それでも現地観戦には他に代えられない価値があって、プレーごとに一瞬の間をおいて沸き立つどよめきや歓声や、雰囲気や、音の響きなどは、現地にいないと体感することができない。空気が体にぶつかる感覚というのは、その場ならではのものだ。

 結果的に延長戦の末に試合には負けてしまったが(僕の現地観戦時防御率が10を超えている増田がまた打たれてしまった!)、一度あの現地観戦の感覚を思い出してしまうと、さあ次はいつ行こうかという思いが禁断症状のように出てきてしまう。

 今年のパ・リーグは稀に見る大接戦で、最後の最後まで楽しむことができそうだ。

 僕はクライマックス・シリーズ(CS)制度には反対で、CSはペナントレースや日本シリーズの価値を下げてしまったと嘆いている人間で、言い換えるならペナントレース優勝というものに何よりの価値を見出している。今年はその最も価値あるペナントレースが目を離せない展開なので、プロ野球ファンとしてはこの上ない日々だ。


 蒸し風呂化しつつあった西武ドームも、夕方になると涼しい風が吹き込んできた。日差しには強さが残っていても、やはり夏とは違う。季節は確実に秋になりつつある。

 試合後、用事を済ませて家に帰ると、中秋の名月が南の空に浮かんでいた。黒星と違って、満月は何度見ても飽きないなと思った。