島田潤一郎『90年代の若者たち』(前編)|静かにページをめくる日々 vol.01

 所用があって平日に吉祥寺に行き、せっかくなのでBOOKSルーエに寄った。平日ではあったが、週末の夕方、商店街は混んでいて、店内でもそれなりの数の人が本を物色していた。

 入口の近くに、いくつかの本が平積みされていた。その中に、缶コーヒーの絵が描かれた表紙の本があった。島田潤一郎・著『90年代の若者たち』──カバーのない本で、その分だけまわりの本から少し浮いて見える(カバーがないだけで、本というがちがちの工業製品の中で、手作り感が残っているように見えるから不思議だ)。

 僕はこの本のことをすでに知っていた。いくつかのTwitterのフォロワー各氏が紹介していたからだ。ただ、実物を見たのはこのときが初めてだった。


 僕は著者の島田さんから見るとちょうど10歳下になる(学年だと9コ下だと思う)。90年代のど真ん中を僕は小学生として過ごした。まだ「若者」と呼べる年齢ではなかった。

 例えばこの本の中で流行のものとして名前の挙がるビーイング系、小室哲哉、ビジュアル系は、僕はその盛り上がりの始まりをよく知らない。かろうじて宇多田ヒカルの登場は中学生だった僕もその当時の空気を覚えているけれど、文脈までは何もわかっておらず、ただなんとなく「ものすごい歌手が現れたらしい」ということを感じただけだった。

 世代の違う人、特に自分よりも上の世代の人の回想を読んだり聞いたりしたときにおもしろいのは、僕の世代にとっては当たり前だったものが、上の世代の人たちにとっては当たり前ではなく、その登場が画期的だったことを知れることだ。例えば僕は『ドラゴンクエスト3』を発売から数年後に父親の知り合いから中古でもらったが、僕が記録映像でしか知らないあの社会現象を生み出した人たちが、たしかにいるのだ。

 もっとわかりやすい例を挙げれば、自分の両親にも「若者」だった時代があって、そのときの社会や流行は間違いなく存在していて、そのことを想像するといつも変な気分になる。写真など見るとなおさらだ。僕にとっての「歴史上の出来事」が、誰かにとっては「思い出の1ページ」なわけで、もちろん僕の思い出だって下の世代の人にとっては歴史上の出来事になる。

 ただ、10歳違いというのは、わずかながらでも幼少期の記憶を共有できるところがあるし、社会の変化の途中や変化後の余韻なども共有できるから、世代的に遠すぎるということもないのだと思う。すべてを共感できるわけではないけれど、「そういえばそんなことも……」と思い出せることはいくつもある。


 島田さんのことを知ったのは、晶文社から出た『あしたから出版社』だったが、この本を買ったときは夏葉社という出版社のことは知らなかった。単純にタイトルと内容に惹かれて買って読んだのだった。

 ただ、読んでみて、知らず知らず夏葉社の本を買っていたことに気づいた。当時はいまと比べて本を買うときに出版社を意識していなかったし、購入のタイミングとシチュエーションがそれぞれバラバラだったので、自分の中でつながりも持っていなかったが、気がついたら我が家の本棚に、何冊か夏葉社と書かれた本が挿してあった。

 『あしたから出版社』を、おそらく2015年か2016年のどちらかに読んだ。季節は定かでないが、何日かに分けて就寝前の布団の中で読んだことは覚えている。個人的にはあまり浮かない時期で、希望を抱くというよりは、傷を舐めてほしくて本を読み進めた。何より従兄が亡くなる冒頭のシーンが、すごく辛く感じられた。情緒的で繊細な文章だなという印象が、読み終えた後もずっと残っていた。


 その時期から2、3年が経ち、中央線がより身近になった。わかりやすくいえばほぼ毎日乗るようになった。

 中央線そのものには昔から憧れがあった。THE BOOMの「中央線」を聴き、その沿線の町を想像し、ビデオクリップを見て、自分がその町に住むところを想像した。住む家を変えようとするとき、中央線の町は必ず候補に上がった。

 一人暮らしをしていた時期に中央線沿線に住むことはなかったが、それでも乗る機会が以前よりも増えてくると、改札の外へ出るハードルが低くなる。何かのついでに、ちょっと町を歩いてみようという気に、自然となれる。

 僕が中央線に憧れを持ったときは、すでに00年代だったと思う。90年代は「若者」というには幼すぎた僕も、00年代には「若者たち」のひとりとなり、本を読み、音楽を聴き、恋をして、あるときは学び、あるときは無鉄砲に走り抜けた。気分のよい思い出も、気分の悪い思い出も、誇らしい思い出も、恥ずかしい思い出も、とにかくすべてを抱えて、10年代最後の年に、僕は暮らしている。


後編へ続く)